第四章:インセル(前編)
医院から戻ってすぐに別荘に行くことになったため、ミレイユはセルドラに会うことは出来なかった。ベアトリス夫人によるとベルナルディー伯爵がセルドラの相手をしているとのことなので、心配ではあったがミレイユは別荘に向かうしかなかった。
別荘に来るのは久しぶりだった。まだアントネラ夫人が生きていたころ、1度だけベルナルディー伯爵と3人で来たことがあったのだ。あの頃は本当に幸せだった。ミレイユは昔を思い出しながら深めに被った帽子が風に飛ばされないように押さえた。
伯爵家の別荘は海沿いに建てられている。ペンションのようなオシャレな建物で、目の前には青く美しい海が広がっていた。白い砂浜は草ひとつ生えていない。白いワンピースを海風になびかせながらベランダに立って海を眺めた。
「ふたりとも大丈夫かな...」
今回、ふたりと交わったことでアルドロスとセルドラが酷い目にあっていなければいいなと思う。
ミレイユは目を伏せたあと、前を向いた。
「ミレイユ様、なにかご入用の物はありませんか」
後ろから声がしてミレイユは振り返った。この別荘を管理しているメイド、アルフィリアだ。メガネとおかっぱにした髪が特徴の、とても真面目な女性だ。ベアトリス夫人はアルフィリアを紹介するとミレイユをひとり別荘に残し、先に屋敷の方へ帰ってしまった。屋敷にはまだ幼いリオルがいるし、息子のセルドラのことも心配なのだろう。ミレイユは分かってはいたが一人寂しくて孤独に感じた。
「お嬢様、すこし砂浜を散歩されてはいかがでしょうか。いまの時期は陽射しもそれほど強くありませんし、気持ちが良いかと」
黙ったままのミレイユを気遣ってメイドのアルフィリアは声をかけてくれた。
「ありがとう、そうするね」
ミレイユはベランダから砂浜へとのびる階段を降りると、白い砂浜をすこしだけ歩いた。
潮の香りが風と共にミレイユを包み込む。アルフィリアが言ったように柔らかい陽射しが気持ちよかった。
宝石のように美しい海は太陽の光をキラキラ反射して眩しい。空と海をじっと眺めていると、アルドロスの変化した瞳を思い出した。キレイな蒼だったなあとミレイユが思っていると、メイドのアルフィリアが日傘を持って来てくれた。
「ありがとう、アルフィリア」
ミレイユがお礼を言うとアルフィリアは一礼して去っていった。
その夜、ミレイユはアルドロスとセルドラに手紙を書いた。しばらく別荘で休むこと、二人に会いたいことも書いてアルフィリアに渡した。別荘にいる間、できるだけ定期的に手紙を送ろうと思う。ミレイユは灯りを消すとベッドに横になり静かに眠った。
その日からミレイユは砂浜をのんびり散策することが日課になった。美しい海を眺めていると心が落ち着くのだ。
ミレイユは散策しているとき、ふとしたときに瞼に手を当てた。毎朝、鏡を見て瞳が元に戻っていないか確認しているが、なかなか元に戻らなかった。点眼も飲み薬も毎日欠かさないのに。
ただ、変わったこともあった。ふたりと交わった日から毎夜になると自分を慰めるようになったのだ。そうしないと、なぜか股間がムズムズして眠れないのだ。昼間もたまにムズムズする時があり、その時はメイドのアルフィリアに見つからないよう、こっそり部屋にこもってひとり慰めた。
手紙を送った数日後、アルドロスとセルドラから返事があった。アルドロスは数日間の外出禁止令が出ただけで特に何もなかったそうだ。それを知ってミレイユはほっとした。アルドロスは自分のことよりも、ミレイユをこんな目に合わせてしまって申し訳ないとつづっていた。
ミレイユとしてはアルドロスと前のような関係に戻れて嬉しかったため、アルドロスと交わったことはなにひとつ後悔していない。ただ今回のように、身体が未熟な内に交わってしまうとお互いにあまりよくない影響があるらしい、とアルドロスは書いていた。
ミレイユのように、瞳が変化したままだったり、発情期が常に続くようになると。
(毎晩のようにしちゃうのも、ふたりと交わった影響なのかな)
ミレイユはふとそう考えて顔を赤らめた。
セルドラから送られてきた手紙には、謝罪の文とミレイユの身体を気遣う言葉が並んでいた。セルドラと交わったのは、ミレイユが部屋を間違えたことがきっかけだったのでミレイユは逆に申し訳なく感じていた。セルドラが最後まで発情期に抗ってくれていたことも知っているので、ミレイユの中ではセルドラは全く悪くないと思っていた。
時間をかけてふたりへの手紙を書きアルフィリアに手渡すと、ミレイユは勉強し始めた。自室にある木造りの机に教科書と宿題を並べる。ちょうど家庭教師のレティ先生が長期の休みを取っており、そのせいで大量の宿題が山積みになっていた。どのくらいの期間、別荘にいるかは分からなかったが、その間になるべく宿題を消化しようとミレイユは思った。
教科書と睨めっこしていると、アルフィリアが果実のジュースを持ってきてくれた。
「ありがとうアルフィリア」
「いえ…。お嬢様は勉強熱心ですね」
何時間も勉強しているミレイユを見て、アルフィリアは感心したように言った。ミレイユは苦笑いする。
「そうかな? ここでは、やることがないから…」
アルフィリアはすこし思案したあと、ポンと手を叩いた。
「この近くにカパルの木があるのです。明日の朝、その実を採ってジャムを作ろうと思っているのですが一緒にいかがでしょうか」
それを聞いてミレイユはパァッと顔を輝かせた。カパルの実は甘酸っぱくてとても美味しいためミレイユの大好物なのだ。
「行きたい!」
翌朝、ミレイユはフワッとした白いワンピースを着てつばの大きい帽子を被りカゴを手にしていた。アルフィリアも帽子を被ってとりわけ大きなカゴを持っている。
砂浜を歩いてぐるりと別荘の裏へ行くと、小さな一本道がずっと続いていた。大きな木々が小道に沿って生えているため太陽の光を遮ってくれる。まるで木のトンネルのようだとミレイユは思った。
木のトンネルを抜けた先にカパルの木があり、その見上げるほどの立派なカパルの木にミレイユはぽかーんと口を開けた。こんなにも大きな木を見たことがなかったのだ。
アルフィリアはカパルの木から落ちてきた実を拾ってカゴに入れていた。ミレイユもなるべく傷んでいない実を選んでカゴに入れていった。持ってきたカゴがいっぱいになった頃、小道から男の子たちの声が聞こえてきてミレイユは帽子を被り直して目を見られないようにした。
「アルフィリアじゃん、なにしてんの?」
ひとりの男の子がアルフィリアに声をかけてきた。アルフィリアは大きなカゴを持ち上げると男の子を振り返る。
「カパルの実が成ったので、ジャムを作ろうかと」
どうやらアルフィリアはここに住んでいる子どもたちと仲が良いようだ。アルフィリアは一見、とっつきにくそうに見えるだけにミレイユは意外に思った。
「へえー。今度、釣った魚を持っていくからさ、ひとつちょうだい」
「仕方ありませんね。10カナン以上の大物ならいいですよ」
「無茶いうな! ...ところで、そこにいる帽子の女の子は? 見たことないけど」
ミレイユはビクッとする。無意識にすこし後ずさると、それを見たアルフィリアが庇うように前に出てくれた。
「私の姪っ子です。人見知りですから、あまり構わないように」
「へいへい。んじゃなー」
他の男の子を連れはしゃぎながらどこかへ行ってしまった。ミレイユはほっと肩の力を抜く。アルフィリアが姪っ子と言ったのは、伯爵家の娘と言えば興味を引かれる可能性があったからだ。姪っ子なら、そこまで詮索されないだろうとの考えだった。気を利かせてくれたアルフィリアに感謝しつつ、ミレイユはドキドキとうるさい胸を押さえた。しばらくは知らない男の子に会いたくないと思う。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
心配そうにアルフィリアが近付いてきた。ミレイユは帽子のつばを押さえて顔を隠しがらコクリとうなづく。発情期がどういったものなのかミレイユにはよく分からないので下手に男の子を刺激したくなかったのだ。
「さっきの男の子たちは、アルフィリアの知り合い? この地元の子たちなの?」
別荘への帰り道、木のトンネルを歩きながらミレイユは訊いた。アルフィリアは軽く首を振って、
「いえ、あの子たちは地方貴族のご子息ですよ。ここら辺は別荘として人気があるので、ちょっと離れたところにいくつか貴族の別荘があるのです」
「そうなの。ここはステキなところだものね」
そう言いつつ、すこし俯いたミレイユをアルフィリアは横から見つめた。
「申し訳ございません、気分転換になるかと思ったのですが…」
ミレイユははっとして慌てて否定した。
「ううん、違うの! 男の子の声を聞いてたら、二人に会いたいなと思って」
恥ずかしそうにはにかむミレイユを、アルフィリアは穏やかな表情で見たのだった。
その後、別荘のキッチンでジャム作りを手伝ったミレイユは、甘いカパルの香りに包まれながら眠った。
「ミレイユ、大丈夫か?」
「アルドロス」
ミレイユは目を見開いた。目の前にアルドロスが立って心配そうに見つめている。
「アルドロス! とっても会いたかった」
思いっきり抱きついたミレイユをアルドロスは抱き止めて優しくポンポンと撫でてくれた。羊皮紙とインクの懐かしい香りがしてミレイユは嬉しくなる。顔を上げると、アルドロスは唇を寄せてキスしてくれた。嬉しくて嬉しくて、涙が出そうになった。
「アルドロス、嬉しい…」
アルドロスは少しいじわるそうな顔でにやっと笑うと、安心させるようにぎゅっと抱きしめてくれる。アルドロスのシャツに顔を埋めるようにして香りをいっぱい吸うと、とても安心した。
もう一度キスがしたくて顔を上げたミレイユは目を見開く。アルドロスの瞳が蒼かったのだ。えっ、と思った瞬間、ミレイユの視界は反転していた。
激しい口付けが降ってくる。アルドロスの喉奥から獣の唸り声のような声が発せられてミレイユは目を見張った。
「ミレイユ...」
唸り声の合間に名前を呼ばれミレイユの心臓はドキリと高鳴る。気付くとミレイユは裸になっており、アルドロスが膨らみかけた胸に吸い付いた。
「あっ…!」
まるで赤ちゃんのように吸われてミレイユはゾクゾクした。あんなにもかっこいいアルドロスが自分の胸を吸っているのが信じられなかった。
「あ、あっ! アルドロ…ス!」
覆いかぶさっているアルドロスの腕を掴む。ミレイユは裸なのになぜかアルドロスは服を着たままだった。長い赤髪を後ろに結んでいるのが見える。それが肩口に垂れて、ミレイユの肌を何度も滑った。くすぐったくて身体をよじるとアルドロスが手首を床に押さえつけてくる。びっくりして顔を上げると、アルドロスがその蒼い獣のような瞳でミレイユを見つめていた。
中性的な顔を歪ませて笑うと、ミレイユの足を開かせて天を向く熱棒をぐっと挿入してくる。突然の異物感にミレイユは驚いてビクリと足を揺らした。
「ミレイユ...あぁ...」
ゆっくり腰を動かしながらアルドロスが呼ぶ。ミレイユはぎゅっと目を瞑りながら、アルドロスが与える衝動を受け止めていた。アルドロスは気持ちがいいのか喘ぎ声を発している。
次第にアルドロスの固く熱い塊がミレイユの奥へ届き、何度もとんとんとノックした。その度に気持ちのいい痺れが身体中を走り、ミレイユは目を開いて背を反らし声を上げた。
「あっ...あっ、気持ち、いいっ...!」
アルドロスの引き締まった腰に足を絡めてもっと身体を密着させる。アルドロスが力強く突き上げた衝撃でミレイユの銀髪が床に広がった。
「んあっ...! アル、ドロス...」
「はぁ、はぁ、ミレイユ...」
快楽が何度もミレイユの全身を駆け抜け、アルドロスを咥えているところがもっと、もっとと快感を求めるようにキューと締まった。シミひとつない白い肌は女性らしい曲線をすでに描いており、まるで天使のようにとても美しかった。
「キレイだ...」
アルドロスは自分の下で快楽に乱れる少女をうっとりと眺めた。何度か突き上げたあと、アルドロスはぐっと全身に力を入れて止まった。ミレイユのお腹の中で熱いものが弾ける感覚がする。肉棒がビクビク痙攣しながらビュービューと子種をたっぷり注いでいるのが分かり、ちつ壁がキュンと収縮した気がした。
「ミレイユ様、おはようございます」
メイドの声で目が覚めたミレイユは、ベッドからずり落ちそうになった。
(夢...?)
寝癖だらけの髪の毛をかきあげてミレイユは大きな息をついた。
「こんな時間まで寝ていらっしゃるのは珍しいので、失礼ながらお声をかけさせていただきました」
淡々とアルフィリアにそういわれて、ミレイユは思わず外を見た。海と砂浜が色鮮やかにハッキリ見える。
(あ、もう昼なんだ...)
「起こしてくれてありがとう。すぐ下に行くね」
アルフィリアが去ったあと、ミレイユは手でぐしゃぐしゃと髪を乱してベッドに倒れ込んだ。
(...本物みたいだった。夢なんかじゃない、そう思いたいのに夢なんだ)
ミレイユは布団に顔を埋めながら、身体を抱きしめた。足の間がじゅんと濡れているのが分かる。そろりそろりと手を伸ばして秘所を触った。
「んっ...はぁっ...」
気持ちいいところに指が触れる度に、思わず甘い声が出てしまう。アルフィリアに聞こえないようにさらに布団に顔を埋めた。
「あっ...あぁ...んぅ、あっ」
ミレイユはいとも簡単に絶頂を迎えて身体を震わせた。上気した頬とくしゃくしゃになった銀色の髪がとてもいやらしくて、それでいでとても美しいことを本人は知らない。
「遅くなってごめんなさい」
すぐに行くといいつつ、かなり時間が経ってから降りてきたミレイユを、アルフィリアは何も言わず迎えてくれた。
ぼんやりした顔でパンを食べる。ミレイユの心はまだ夢の中にいるような気持ちだった。アルドロスに会えたことが嬉しくて、嬉しくて、あまりにもあの空間が心地よくて、もうすこし寝ていたかったなとミレイユは思う。
「ミレイユ様、今日は如何なさいますか」
「今日はずっと勉強をしようかな」
「畏まりました。あとでカパルのジュースをお持ちします」
ミレイユは微笑みながらお礼をいうと、サラダにフォークをさした。
部屋に戻って、机に向かったミレイユだったが集中できずにバタッとうつ伏せになる。無意味にペンをコロコロ転がしていると、ふと机の端に置いた便箋が目に入った。気だるそうに掴んで持ち上げたら、キレイな便箋がペラリと机の上に落ちる。
前回送った手紙の返事はまだ届いていないが、それでも構わずミレイユはアルドロス宛に手紙を書き始めた。書き終え、読み直してみて思わずミレイユは笑った。
「こんなの、絶対にアルドロスに送れないわ」
手紙には、夢でアルドロスに会ったこと、交わったこと、そしてもう少し夢が長かったらよかったのにというミレイユの思いがつづられていた。
頬杖を付いて、今朝見た夢を思い出す。もうおぼろ気にしか思い出せないが、ミレイユはもう一度アルドロスに会いたかった。そして、同じようにセルドラとも...。
アルドロスは、自分の許嫁が他の男の子と交わったことを知っているのだろうか。ふと、ミレイユは考える。アルドロスはそんなミレイユをどう思うのだろう。
(ショックを受けるかな。傷付けてしまうかな...)
ミレイユは想像して落ち込んだ。セルドラも傷つけてしまったし、アルドロスも、家族みんなを傷付けている。ミレイユは、消えてしまいたいと思った。
外に出ようと思ったミレイユは、つばの広い帽子を手に取ってベランダに出る。海を眺めていたら、大きな海風がやってきてミレイユの帽子をさらってしまった。
「あっ! 待って!」
慌てて追いかけたミレイユは砂浜の真ん中でようやく帽子を捕まえた。ふと、砂浜のずっと奥に切り立った崖が見えてミレイユは釘付けになる。
(あそこから身を投げたら...)
いけないと思いつつ、ミレイユは自然と足が崖に向かった。
崖にはそんなに時間がかからずにたどり着けた。もうすでに空は黄昏色が浮き上がり、あたりは薄暗くなっている。ミレイユは恐る恐る足を踏み出して崖下を覗き見た。激しい水しぶきとゴツゴツした剥き出しの岩が見えて、あれに当たると痛いだろうなと思う。
崖上は想像以上に風が強く、一際強い海風に当たってミレイユの帽子が飛んだ。
「あっ」
そのとき、ミレイユの身体がよろけて崖下へ転落しそうになった。周りがスローモーションのようにゆっくりになる。落ちる、ミレイユはそう思ったとき、
「ミレイユ!!」
名前を呼ばれた瞬間、ミレイユはとっさに声のした方に手を出していた。その手を掴まれ、引き寄せられる。ぐんっと視界がまわったかと思うと誰かの胸に抱きしめられており、ミレイユは自分が生きていることを実感してほっと息をついた。
「あの、ありがとうございました...」
お礼を言おうと顔を上げた瞬間、ミレイユは固まった。見たことのある顔だったからだ。ミレイユを助けてくれたのは医院で出会った少年だった。確か、老夫婦にこう呼ばれていた--。
「インセル...?」
強い海風に白銀の髪をなびかせながら、少年は怒った顔でミレイユを見ていたのだった。
どうしてこんなところに?なぜ助けてくれたの?と声を出しそうになったが、聞ける雰囲気ではなかったのでミレイユは黙っていた。インセルがとても恐ろしい顔をしていたからだ。天使のような顔が怒るとこんなにも怖いのかとミレイユは思う。
だが、怒った顔のままインセルはなにも言わなかった。それが尚更ミレイユは怖い。何となく崖から飛び降りれば消えることが出来ると思ったのだ。けれど名前を呼ばれた時、ミレイユはアルドロスとセルドラに名前を呼ばれた気がしてハッとした。その瞬間、やっぱり勝手かもしれないけれど、またふたりに会いたくて仕方なくなったのだ。
「......」
「......」
黙ったままふたりは暗い夜道を歩いた。手首をずっとインセルに掴まれているのでミレイユは離れようにも離れられない。また、インセルが怖い顔をしている理由が分からなくてミレイユは尚更怖かった。
気付くと目の前に伯爵家の別荘があった。インセルが送ってくれたのだと分かり、ミレイユはお礼をいう。インセルはチラリとだけミレイユを一瞥すると、すぐに背を向けて小道を歩いていってしまった。ミレイユはその背中をすこし見送ったあと、すっかりアルフィリアに心配をかけてしまったと気が付いて慌てて別荘に帰ったのだった。
案の定、アルフィリアはミレイユを認めると驚いた顔をして駆け寄ってきた。
「お嬢様...!! あぁ、お怪我はございませんか? 私は心配したのですよ!本当に、本当に...」
アルフィリアは言葉が詰まってその先が出てこないようだった。いつも冷静で感情を表に出さないアルフィリアが、瞳に涙をたたえ、いまにも泣き出しそうになっているのを見て、ミレイユは改めて反省した。
「ごめんなさい...。帽子が飛んで行ったから...」
嘘はついてないが、肝心なことは言えなかった。アルフィリアはミレイユが帽子を被っていないことに気付くと、帽子なんかよりミレイユお嬢様のほうが大切ですと言って抱きしめてくれた。ミレイユも抱きしめ返す。温かくてなんとも言えない優しさに包まれて、ミレイユは大粒の涙を流した。別荘に来てから、はじめてここが自分の家だと思えたのだった。
ミレイユはその日、メイドのアルフィリアに胸の内を打ち明けた。いままでとても辛くて悩んでいたけれど、誰にも言えなかったことを。
アルフィリアは、ミレイユの話をじっと静かに聞いてくれた。そして、耳を疑うようなことをアルフィリアは言ったのだった。
「ミレイユお嬢様、お嬢様はおかしくなどございません。まず、この国では重婚が認められておりますし、そもそもそういったことはよくあることなのです」
「へ...?」
ポカーンとするミレイユに、アルフィリアは詳しく説明してくれた。
曰く、複数の男女で結婚することはままあるこたなのだそうだ。発情期というものがあるせいで、この世界では性に対して比較的寛容なのだという。そのため、一夜の過ちなど当たり前のようにあり、ましてや複数の男女で家庭を築くこともよくあることなのだという。
「ですから、ミレイユ様は自分を責める必要はないのです」
アルフィリアが断言するようにハッキリ言い、ミレイユは空気が抜けるような感覚がした。ペタリとダイニングテーブルにうつ伏せる。
「ミレイユ様は非常にお美しいですし、一生懸命で健気な性格もとてもかわいらしい。男の子たちからモテても、なんらおかしいことはございません」
「でも、アルドロスはなんていうかな。私のことを軽蔑しないかな...」
アルフィリアはミレイユの手を優しく包んで語りかけた。
「アルドロス様はセルドラ様と仲が良いと伺っています」
そして、セルドラの悩みをアルドロスは知っているはず。そんな血の繋がりのない男の子が許嫁と屋根の下くらしているのだ。いずれはこうなるのでは、という予想くらいはアルドロスもしていた可能性は十分あった。けれどアルドロスは特に行動を起こすことはなく、強いて言うならミレイユにセルドラの部屋に入るなと言っただけ。
アルドロスもはじめての発情期が来てそれどころではなかったかもしれないが、アルフィリアはそうは思わない。
この世界では、男の子だけでなく女の子にも発情期がくる。発情期を経験しているアルフィリアは、アルドロスがセルドラを危険視していたならむしろ発情期の真っ只中であればあるほど行動を起こしていただろうと思う。そうはしなかった、ということは、セルドラとミレイユが交わることをアルドロスは半ば望んでいたのではないかと考えていた。
ミレイユの話を聞く限りだとセルドラは長くミレイユに好意を持っているようだったし、それをアルドロスは気付いていた可能性があるからだ。ここまでがアルフィリアの仮説だが、アルフィリアもはっきりとした確信があるわけではないため、ミレイユにはそこまでは言わなかった。
ただ、ミレイユの背中を押しただけだ。アルドロスに手紙を書いてみたら良いと思います、と言ったのだ。
ミレイユは悩んだ末、これ以上考えても分からないのでアルフィリアの言う通り思い切って打ち明けることにした。机に向かって便箋にミレイユの悩みやこれまでのことをつづったのだ。
「これで嫌われちゃっても、しょうがないよね...」
ベランダから夜空を見上げながら、ミレイユは暗い表情でぽつりと呟いた。
別荘から遠く離れた地にアルドロスの屋敷はある。距離的に、別荘から屋敷に届くまで数日かかり、悪天候などが重なると下手すると数週間もかかることがあった。
そんなある日、医者になるため自室で勉強にはげんでいたアルドロスは部屋をノックされて顔を上げた。扉を開けるとメイドが手紙を持っている。アルドロスは見慣れた封筒を一目見てミレイユの手紙だとすぐに分かった。
手紙を受け取ったアルドロスは、違和感を覚える。なぜなら、つい昨日ミレイユへ返事の手紙を送ったばかりなのだ。それなのにもう手紙が来るのはおかしいと感じた。嫌な予感がしたアルドロスはすぐさまペーパーナイフで封を開けて手紙を読んだのだった。数分後、アルドロスはベッドに飛び込んでガッツポーズをしていた。
「あいつらとうとうくっ付いたんだな!」
アルドロスはにやりと笑う。思えば長かった。セルドラは言わなかったが、ずっとミレイユに片想いをしているのは傍から見てすぐわかったし、ミレイユは無自覚だったがセルドラに好意を持っているのは分かっていた。アルドロスは父親が一夫多妻のような家庭を築いていたために、母親が何人もいる環境で育っているので、例えミレイユがセルドラと交わっても軽蔑などしない。アルフィリアの推察通り、むしろそう仕向けたのはアルドロスのほうだった。
初めてミレイユと行為をしたあの日、実はアルドロスは最初から交わる目的で屋敷を訪れていた。だからこそ入念な準備をしていたのだ。普通、子どもが避妊薬など持っているはずがない。それもこれもミレイユとセルドラが交わるように仕向けるため、アルドロスが準備したことだった。
もちろん、それだけではなく純粋にミレイユを自分のモノにしたかったのもある。ふたりを交わらせるだけなら、アルドロスはミレイユと交わる必要などなかった。だが、アルドロスはミレイユをとても愛していたし、独占欲もあったためミレイユの最初の相手はどうしても自分がよかった。許嫁なのだから、これくらいは許されるだろうとアルドロスは思う。
兄妹である手前セルドラは絶対にミレイユには手を出さないのは分かりきっていたため、ミレイユのほうから迫れば手を出さざるを得ないだろうとも考えていた。ミレイユに塗った傷薬はただの傷薬ではなく、媚薬がすこしだけ入っていた。アルドロスはその媚薬でミレイユを刺激し、なんやかんやあってセルドラに迫まったらいいなと思っていたのだった。
「あー、でもまさかあの日の夜やるとは思わなかった。分かってたことだけど、ちょっと妬けるな...」
快楽に乱れるミレイユを思い出し、アルドロスは口をとがらせる。セルドラと交わったということは、ミレイユのシネスティアを見たのだろう。とても綺麗なあの色を独り占めしたいとも思ったが、セルドラなら別にいいかなと思う。
「それよりも、俺のせいでだいぶミレイユが思い詰めてるのが気になるな...」
噂でセルドラも引きこもっていると聞いた。恐らくセルドラはミレイユと交わって自責の念に駆られているに違いない。アルドロスはさっそく伯爵家に向かうと、セルドラの部屋の扉をノックする。
返事がなかったので、蹴破るように扉を開けると項垂れていたセルドラがビックして飛び起きた。入ってきたのがアルドロスだと知りセルドラはさらに驚いたのだった。
「アルドロス!?」
とたん、狼狽えるように視線をキョロキョロさせるセルドラに、アルドロスはつかつかと歩み寄ると隣に座った。
「よう、ミレイユと交わったんだって?」
「...!!」
セルドラが明らかに動揺している姿を見てアルドロスは苦笑した。
「...本当にすまない。君の大切な許嫁なのに」
「お前さ、そんなに落ち込むなよ。俺は別になんとも思ってないぜ」
「えっ?」
セルドラはポカーンとした。アルドロスがにっと笑うと、セルドラはまじまじとアルドロスを見つめる。
「俺、セルドラだったらいいよ。3人で家族になろう」
「おまっ、なに言って...」
驚愕するセルドラに、アルドロスは自分の家庭の話をし始めた。父親には3人の妻がおり、4人で仲良く暮らしていることを。
「重婚っていうらしいな。俺はセルドラとだったら、一緒になってもいいと思ってる。お前はどうだ?」
「......」
セルドラは考えた。アルドロスはミレイユの許嫁だ。アルドロスが承認するなら、3人で家庭を築くことは可能だろう。だが、その前にひとつ問題があった。
「俺は、ミレイユの兄妹だ。血は繋がってないけれど、兄妹と結婚はできない」
アルドロスはそれも考えていた。
「結婚しないと一緒に住めないなんてルールはないだろ? 俺はミレイユと結婚するけどな」
「......わかった、お前がいいと言うなら」
セルドラが小さな声を出すと、アルドロスは手を出した。その手を見て察したセルドラはニヤッと笑うと、ふたりは力強く握手したのだった。
さて、セルドラの件は片付いた。アルドロスは馬車を用意してもらうとセルドラに教えてもらった別荘の場所に向かう。手紙でもよかったがそれだと時間がかるので馬車にしたのだ。馬車なら1日もかからずミレイユに会いにいけた。アルドロスは、不安がっているミレイユをすぐにでも抱きしめて安心させてあげたかった。