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悪 魔 禁 書

 

 そこそこ強い悪魔として光と闇から生まれる。生まれてすぐ魔導師に召喚され中級悪魔と悪魔禁書に記された。その際、付けられた名はイブリース(Ibulis)であった。

 彼を一番に召喚した魔導師はセ・セルゲートという偉大な男の魔導師だったが、当時のセ・セルゲートは悪魔禁書を埋めることが目的で片っ端から悪魔を召喚していたため、イブリースと名付け、本に記すると言葉を交わすことなくすぐ悪魔界へ送り返した。そのため、イブリースが彼について知っていることはほとんどない。

 

 イブリースについて書かれた悪魔禁書の備考には、彼を召喚した他の魔導師たちのメモ書きが残されている。
 それによると、イブリースは悪魔に似つかわしくない誠実で優しい性格をしていたという。イブリースを召喚すると、真っ黒でくたびれたコートを羽織った若い青年の姿で現れる。その顔は鋭く男らしい。美男子とも言える容姿をしていたためアクセサリーとして魔導師の夜会のためにわざわざ召喚した魔導師もいたという。
 イブリースは召喚者に歯向かうような荒っぽい所作はせず、紳士的に振る舞うことを好んだ。そのため魔導師たちの間ではレラジュやオロバスなどと同じように、比較的扱いやすい悪魔として知られていた。それもあり、魔導師たちの弟子が中級悪魔を呼び出す練習としてイブリースが選ばれることもあった。するとイブリースは若い魔導師の面倒を見るような素振りをしたり助言する時もあったという。おおよそ悪魔とは思えない、人間のような性格をしていた。
 悪魔界よりも人間界での生活が長く続くと人間のような思考になる悪魔は数多くおり、イブリースもそうだとする見解もあるが、彼をよく知る魔導師らは最初からイブリースはどこか人間くさい面を持ち合わせていたと証言している。

 その証拠に、イブリースの悪魔初期に彼は1人の赤ん坊を育てている。シズという婦人の姿をした悪魔と共に召喚されたイブリースは、病に倒れる魔導師の命を受けて生後5ヵ月の赤ん坊をムーンストーンからクォーツにいる叔父の家まで送り届けた。その旅は、恐らく普通の人間と同じように馬車や船を使って移動したと考えられている。

 なぜなら、1歳にも満たない赤ん坊を傷つけずに運ぶ手段は当時それしかなかったからだ。悪魔に運ばれた赤ん坊を受け取った叔父の話によると、赤ん坊は怯えた様子は見せず健康的でキズ一つなかったという。2人の悪魔が旅の道中その赤ん坊を大切に育てていたことは明白である。
 シズは母性愛が強い悪魔ということで有名な話だが、イブリースも父性愛が強いことはあまり知られていない。
 また、その赤ん坊―アルバート坊や―と別れた後もイブリースはたまに屋敷へ訪れている。玄関から入るのではなく影から見守るという言葉が正しい。シズ程ではないが、イブリースもまたアルバート坊やの成長を気にかけていたのだ。それはアルバート坊やの転落事故から見て取れる。以下はその事件記事の切り抜きである。


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4388年6月5日
 伯爵貴族の子どもアルバート・ウィルソン(以下アルバート坊や)が20mもある崖から転落していたことが分かった。しかし、アルバート坊やはその日のうちに屋敷へと帰っており身体には擦り傷があるだけでほとんどケガはなかったという。
 アルバート坊やは叔父のウィルソン伯爵にこう証言している。
「ペルギウスにそそのかされて度胸試しをしたんだ。崖のスレスレを歩いていたら強風が吹いて落ちちゃった。でも、二回転がった時に身体が止まって、気付いたら黒いお兄さんに抱っこされていたんだ」
 彼を助けた青年はアルバート坊やを抱いたまま―信じられないが―崖を登り、その後アルバート坊やは屋敷へと帰ったという。なお、その青年はアルバート坊やが気付いた時には姿を消しており、ウィルソン伯爵は多額のお礼金を用意し捜索しているとのこと。
 6月3日に黒いロングコートに黒い髪の青年を見かけた情報提供者にも謝礼金が支払われる。以下で受け付けている。
(クォーツ0番地11266まで)
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 この記事にある助けたとされる青年は、容姿や人間離れした行動からイブリースではないかと言われている。シズもこの場にいたのではという意見があるが、彼女はこの当時、オブシディアン内戦にて召喚されていたという記述が見つかっているためその可能性は限りなく低い。
 このことから、アルバート坊やを助けたのはイブリースの意思であることが分かる。
 これらはアルバート坊やがシズやイブリースという2人の悪魔から愛されていたことを裏付ける証拠になるだろう。しかし、当の本人のアルバート坊やがそれを知っていたのかは定かではない。

 以上からイブリースは紳士的であり人間くさい心優しい悪魔であったことが分かる。
 だがそれと同時に、イブリースは中級悪魔でもあった。その力は大きく、後期になると上級悪魔にも匹敵する力を持っていたとされる。中でも特筆するべきはダイナ戦争での活躍であろう。イブリースは10万を超す天使の中で大天使アラトロンを倒しているのだ。
 悪魔の戦い方は個々によってかなり差があるがイブリースが最も好んだのは魔剣での接近戦であった。それも、不意打ちなどの卑怯な手段ではなく真正面からのぶつかり合いを望んだ。その剣さばきは非常に獰猛であり引くことを知らなかったという。
 また、共闘した悪魔も多かった。その中でもイブリース曰く、"腐れきった縁"のレラジュとは10戦ほど共闘し、2戦ほど敵対したという。その2戦はアクアオーラの内戦とアンダルストーン戦争で起こったと推測される。
 また馬悪魔オロバスとも共闘することが多く、悪魔絵ではオロバスの背に跨り戦場を駆け巡っている姿が良く描かれている。

 これらのおよそ悪魔らしくない所業により、魔導師たちはもとより様々な悪魔からも異端視されていた。そんなイブリースに好意を示したシズやオロバスなどの悪魔もいたが、彼らもまた異端視される悪魔たちである。


 魔導師には召喚する悪魔の"好み"があったが、イブリースのような悪魔を好んで召喚した魔導師は正義感に溢れマナーに厳しい上流階級者が多かった。レラジュやシズ、アスモデウス、オロバス、セーレなどの悪魔もそれら上流階級者たちに好んで召喚されたため、イブリースは特定の悪魔と仕事することが多かった。そして共に仕事する際、イブリースの性格を知り好意を抱く悪魔も多くいたのだ。
 中でもシズはアルバート坊やの旅でイブリースと知り合ってから、彼に会う機会があれば魔導士に許可をもらって会いに行くなど積極的に交流していた。悪魔は恋愛をしないことで知られているが、シズは恋に近い感情をイブリースに抱いていたのではという見解もある。しかし、イブリースに会いに行ってたのはアルバート坊やという2人を結びつけるものがあったからであって、アルバート坊やが亡くなってからはシズはほとんどイブリースに会いに行ってないことから恋ではないとする主張もある。

 イブリースと最も親しかった悪魔といえばシズやレラジュ、オロバスなどが上げられるが、セーレやヴェルオス=ベリトとも仲が良かったとされる。しかし、賢鳥ハルファスとも仲が良かったことはあまり知られていない。


 また、悪魔にしては人の顔を覚えることを得意とし、それは一度目を合わせた者でさえも記憶したという。そして、それは悪魔にも当てはまる。ある日、5歳の女の子が呪いで老婆になり面影がなくなってもイブリースが名前を言い当てたことがあった。それを知った悪魔が、様々な悪魔を集めて姿を変えさせイブリースに名前を当てさせるということをしたのだ。しかし、どれだけ姿を変えていようとイブリースを欺くことは出来ず、彼は全て言い当てたという。

 とある魔導士いわく、イブリースは見た目ではなく魂の形を見ているのではないかというが、真偽は定かではない。


              ◇◆◇

       「悪魔の生まれ変わりと言われた男の子」

 悪魔に愛された子どもがいれば、悪魔の生まれ変わりと言われた子どももいる。
 ベルギウスがそうだ。彼は呪われた星の下に生まれた。誕生した瞬間に父親が狂い、その数日後に自らをナイフで刺し自殺した。そしてベルギウスが1歳になった誕生日に今度は母親が狂ってしまった。
 母親はベルギウスの瞳を見て「悪魔の子」と叫ぶと息子を殺そうとしたのだ。ベルギウスは頬に深い傷を受け、母親は駆けつけた隣人によって射殺された。
 その後、里親の元へ行き仲良く暮らしていたが、ベルギウスが3歳になったのを境に里親家族はおかしくなってしまう。ベルギウスを見ては「悪魔がいる」「悪魔の生まれ変わり」だと叫び、彼は虐待された。


 そんな地獄のようなある日。6歳になったベルギウスは飢えていた。クリスマスイブだというのに、暖かな家にも入れてもらえず、ローストチキンが焼ける匂いを嗅いで飢えを紛らわすしかなかった。
 ローストチキンの匂いをおかずに雪を食べていると、雪降る道路に人が通りかかった。ベルギウスはその人物に違和感を覚える。なぜなら、その人物はこんなにも寒いのに薄い黒コートしか羽織っていなかったからだ。
 ベルギウスがじっと見つめていると、視線に気付いたのかその人物は足を止めた。しばらく見つめ合ったが、暗くて顔がよく見えない。しかし、背丈や体格から男性なのは分かった。ベルギウスは何も言わずただ突っ立ったまま、その男を睨みつける。
 男は興味がなくなったのか、視線をそらすと来た道を引き返していった。
 ほっと息をついたベルギウスは、また空腹を紛らわすために雪を食べ始める。
「雪は美味いか?」
 すぐ側で声がしてベルギウスは固まった。見ると、いつの間にか黒髪の青年が立っているではないか。薄い黒コートを羽織っているのを見て先ほどの男だとベルギウスは気付いた。ごくりとツバを飲み込む。
 そして改めて男を見たベルギウスは"それ"が人間ではないことに気付いた。口から白い息が全く出ていないのだ。それに、瞳が真っ赤に鈍く光っている。
 ベルギウスは悪魔を見たことがなかったが、悪魔の見分け方は知っていた。雪の山から立ち上がると、雪で濡れた口元を拭う。
「僕を悪魔界へ連れてって」
 悪魔は驚いた顔をした。何千年と生きてきた悪魔でさえ、こんなことを言われたのは初めてである。
「なぜ?」
「僕は父と母を殺した。キャリーおばさんたちは僕が悪魔の生まれ変わりだっていう。僕はこの世界にいちゃいけないんだ」
 悪魔はしばらく黙っていると、しゃがんで目を合わせてきた。ベルギウスは悪魔の瞳を間近で見て息を呑む。
「見たところ、お前は普通の人間だが?」
 ベルギウスは目をパチパチさせた。悪魔はしごく真面目な顔をしている。
「そんなに自分が悪魔だと思うなら、魔導師になればいい。そして悪魔を従えろ。そうすればお前は、自分の中にある悪魔を飼うことが出来るだろう」
 そう悪魔は言うと、立ち上がった。ベルギウスは悪魔から言われた言葉を一言残らず頭に入れようとした。人々は悪魔を滅するべきものだと言うが、ベルギウスは悪魔に救われたのだった。

 それから数年後、ベルギウスは優秀な成績を残し若くして魔導師となった。
 悪魔を召喚できるようになり、ベルギウスは自分というものをようやく手に入れた気分になった。水を得た魚のように、ベルギウスは悪魔を研究し様々な功績を残していく。
 そして、彼の人生の中期頃。あの幼い自分を救ってくれた悪魔に会いたくなった。だがベルギウスが知る限り、あのような姿をした悪魔は心当たりがなかった。


 思い当たることがひとつだけあった。彼が魔導師を目指していたころ、他国で巨大な戦争が繰り広げられた。それは4国が覇権を争って戦った、歴史上最悪の戦争であった。
 その時に大量の悪魔が召喚され、同時に膨大な悪魔禁書が闇に葬られたのである。それは、敵国が悪魔を召喚させないように取った措置であった。大戦後、新たな悪魔禁書が作られたが、旧悪魔禁書に記された古い悪魔たちとは全く違い、新しい悪魔が記された。
 恐らく、あの悪魔もその戦争に巻き込まれた際に悪魔禁書を焼き払われたに違いなかった。悪魔を呼び出すためには、悪魔禁書に書かれた悪魔の名前と悪魔に関する詳細が必要だった。
 
 ベルギウスは研究と称して様々な国へ飛び、旧悪魔禁書を探した。それは海から小指サイズの小石を探し出すよりも難しく、埒が明かないと判断したベルギウスは弟子たちを多く募り、そして弟子に召喚させた悪魔たちも使って総出で探し出した。
 すると、10年後には旧悪魔書の6割が見つかり、ベルギウスはそこに書かれている詳細を元に悪魔を絞り込んだ。旧悪魔と呼ばれた悪魔たちは総じて力が強く、召喚に必要な魔力も膨大であった。弟子の1人が内緒で旧悪魔を召喚しようとして、死にかけたことからもそれは伺える。


 そしてベルギウスが3回目の旧悪魔を召喚したとき、現れた悪魔はベルギウスが何度も脳裏に刻み込んだ黒コートの青年の姿をしていた。
 名前はイブリース。召喚の部屋にいた弟子達はその悪魔のあまりに強力な力に腰を抜かしていた。
 悪魔は初老にさしかかったベルギウスを見て驚くと、にやりと笑った。
「雪はまだ好きなのか?」
「見るのも触るのも嫌いだ」
 ベルギウスは吐き捨てるようにそう言いながら、口を歪めて笑った。弟子達はその笑顔というには下手な表情に釘付けになり、この恐ろしい悪魔が師匠の探していた悪魔なのだと悟ったのだった。

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