第二話 落とされた神
それは黒い雲と共にやってきた。魔獣がどこからか押し寄せて天界をめちゃくちゃにし始めたのだ。突然のことに神々は驚き、パニックに陥った。
ハーゼントは運の悪いことに人間界へ降りようとした瞬間に魔獣に襲われてしまい、人間界へ落ちてしまったのだ。そして気付けば地面の上で仰向けになっていた。どうやら落ちる時に気を失ってしまったらしく、そのまま落ちるところまで一気に落ちてしまったようだ。辺りを見渡してみると、のどかな農村の風景が広がっていた。
ここは人間界のようだと察したハーゼントは顔にかかった髪をかき上げると、空を見上げた。いつものように天界へ戻ろうとしてもなぜか戻れない。ハーゼントはもしかすると通常とは違う降り方をしてしまったため、普通の方法では天界に戻れないのではないかと考えた。
ではどうすれば天界に戻れるのか。ハーゼントは少し考えたあと、ひとつの可能性を見つけた。人間は亡くなると天界の下にある幽界へ行く。しかし、道に迷った人間の魂が、たまに天界へ迷い込むことがあった。ハーゼントは、人間の赤ん坊に入り、人間として生まれたあと死ねばもしかすると天界へ帰れるかも知れないと考えた。
だが人間に生まれるためには人間の両親が必要になってくる。とりあえず、ハーゼントは人間から自分がどのように見えるのか分からないため、確かめるために人間を探すことにした。
両脇に広がる畑を風景に、細道を歩いて小さな村に入ると小さな子どもたちが走り回って遊んでいる。ハーゼントが近付いて行くと、子どもたちはハーゼントが見えるのか一斉に固まってしまった。すると、大人の男性がひとり家から出てきた。そして不自然に固まっている子どもたちを見て首を傾げるとなにか声をかけた。ハーゼントはその男が言っている言葉は理解できなかったが、男はどうやらハーゼントの姿が見えていないようだった。
純粋な心の子どもには姿が見えるのかも知れない。そうハーゼントは考えた。
そうしていると、子どもたちの中でも一番年長の少年が恐る恐るハーゼントになにか言う。しかし、ハーゼントは言葉が分からない。すると、わっとハーゼントの周りに子どもたちが駆け寄ってきた。口ぐちに何かハーゼントに向かって言っている。首を傾げたままの大人に小さな女の子が必死になってハーゼントを指さして叫んでいた。そして男は驚いた顔をハーゼントに向けると膝をついて「ははー」と頭を下げたのだった。
他の子どもたちが家々に走っていったので、大人を呼んできそうな感じがしたためハーゼントは長居をするのは止そうと歩き出した。すると、残った子どもたちがキラキラした目で後を付いてくる。ひとりはハーゼントの手を握ろうとしたが、姿が見えても実体化はしていないため手を握ることはできない。そのまま村を出るまで子どもは付いてきて、いつの間にか追いついた大人たちもハーゼントを囲んでなにか拝んでいるようだった。
ハーゼントは人間の願いを叶える神ではないため、言葉が分からなくて良かったかもしれないと思った。
その後、ハーゼントは森に囲まれた道を歩き、途中で荷車が通ればこっそり乗って移動した。数時間かけて比較的大きな町に着くと、ハーゼントはにぎやかな街並みを横目で見つつ歩き続ける。数日歩き回ったハーゼントは、現在とても巨大な都に居た。今まで通ったどの町よりも大きく住んでいる人の数も一番多く思えた。そして何より、その都の中心には立派な城がそびえ建っている。ハーゼントはその城へ行ってみようと思った。
ハーゼントはこの数日間、自分が生まれる場所を探して歩いていた。どうせ生まれるなら不自由のない場所を選びたかったため、出来るなら裕福で子宝に恵まれた家柄がいいと思っていた。何故、子宝に恵まれた家柄がいいと思ったのかというと、人間は子どもに家を継がせる風習があるため、すぐに死ぬつもりでいるハーゼントがその対象にならないためにも子どもが沢山いる家が良いと考えたからだ。
城へ向かっている途中、道を曲がると突然大きな教会が目の前に表れた。ハーゼントはその教会が光り輝いているのを見て目を細める。教会は至るところにあり、人間たちが神々と通じる大切な場所だった。
教会へ入ると巨大なステンドグラスが目に飛び込んでくる。祈りをささげる人間たちを包むようにステンドグラスがぐるりと建物の中に張り巡らされ、様々な色の光が射し込んでいた。ハーゼントは教会に初めて入ったためその美しい光景に驚いた。だが、ステンドグラスから光が射している以外はとても薄暗く、教会の隅に小さな灯台が置かれているだけだった。
ハーゼントはステンドグラスをぐるりと見渡した。そこには多くの神々が描かれていた。人間たちを見ると、各々が信仰している神が描かれたステンドグラスに向かって祈っているようだった。一番人気は幸福の女神ララかと思いきや、厳格と戒めの男神ジークとその息子である審判の男神レギオンに祈る者が多かった。
あのふたりは人間たちにかかわりのある神なのでハーゼントは不思議には思わなかった。恐らく、この王都で人々を裁いているのはジークとレギオンなのだろう。だから信仰している人間が多いのだ。
ハーゼントは自身のステンドグラスを探してみた。なかなか見つからないと思っていると、教会の端っこの目立たない場所に描かれていたからだった。恐らくそれがハーゼントのステンドグラスではと思ったが、容姿がすこし違ったので首を傾げる。そしてそのステンドグラスに向かって祈っている者はいなかった。ハーゼントはなにも不思議に思わない。なぜなら、ハーゼントは人間たちに忌み嫌われる神だからだ。それもあって教会の端っこに追いやられているのだろう。ハーゼントはなにも思わなかったが、ジークやフローライトはこれを知ればかなり怒りそうだと思う。
ハーゼントは不幸神である。人間たちに試練を与える神で、不幸現象とされるものは全てハーゼントのせいだとされていた。これほど人間たちから嫌われる神はいない。辛い経験をしている人間たちは特にハーゼントを怨むとまではいかないものの、いい感情は持っていない。
教会にいると気持ちが落ち着いた。神聖な場所のせいか、すこしだけ向こうと空気が似ていた。どこまでも澄んだ全く濁りのない空気。ハーゼントはすこしの間だけここに居たくなった。
人々の邪魔になってはいけないので、ベンチの端っこに座ると教会のようすがよく見渡せた。ここへ訪れる人間たちの多さに驚き、夕方になるとさらに増えた。仕事帰りで疲れた表情の大人たちばかりだった。ハーゼントは人間たちが真剣な表情で祈りをささげる姿をじっと見ていた。
すると、ハーゼントの近くに来た人間がいた。その人間は若い女性で、目の前でハーゼントのステンドグラスに向かい祈ったのだった。ハーゼントは驚いた。自分に祈る人間がいたのかと。
手を組み冷たい床に膝をつき、真剣な表情で祈る女性を見つめる。ハーゼントはそれでも無表情だったが、女性が立ち去ると後を付いて行った。
外は夜になっていた。街灯が点き、人々が行き交っている中を女性は慣れたように歩いた。そしてボロボロの家にたどり着いたとき、ハーゼントは手をふっと挙げた。その瞬間、玄関に入ろうとした女性はドアに吊り下げられたランプがキラキラと輝くのを見た。まるでランプの中に星を詰め込んだかのようにランプは黄金の光を放ったのだ。そのあまりの美しい光景に女性は立ち止まり、涙を流した。ランプはしばらくキラキラ輝いた後、普通のランプに戻ってしまった。女性はそのランプを大切そうに抱くと、家へ入ったのだった。
ランプの光はハーゼントから女性へ励ましの意味を込めたプレゼントだった。神々は基本的に人間を手助けすることは出来ないが、こういうことは許されていた。ハーゼントは女性の家に背を向けると、目的地である城へ歩いて行った。
城に着き、強そうな門番を素通りして入ると500人は収容できそうなエントランスと巨大なシャンデリアがぶら下がっていた。窓の外にはきちんと整えられた清潔感のある庭が広がり美しい花々が咲いており、ベンチや遊具がいくつも置いてある。遊具があるのを見て、王族に子どもがいるのかもしれないとハーゼントは思う。
赤いじゅう毯が敷き詰められ、ほこりひとつない廊下を歩いていたハーゼントは数えきれない部屋の数に驚いた。探索している間、メイドや執事と何人かすれ違ったがみな一様にハーゼントが見えていないようだった。そんな折、ハーゼントが廊下に飾られた絵画を眺めていると、廊下の曲がり角から子どもたちの声が響いてきた。
ハーゼントが目を向けたとたんに5人ほどの子どもたちが角からわらわらとやってきたためぎょっとする。子どもたちもハーゼントの姿を見てぎょっとした。そして一斉にわーっとハーゼントを囲むとハーゼントに興奮したように話しかけてきたのだった。ハーゼントは戸惑った。
使用人の子どもがこんなにも城にいるわけがないし、全員見るからに高価そうな服を着ている。ハーゼントはこの子たちが全て王族の子だと察すると少し遠い目をした。王の子だけでなく王の兄弟の子どもの可能性を考えても、これだけ多くの子どもを育てるのは大変だろうとハーゼントは思ったのだ。
ハーゼントには4人の子どもがいるが、どの子も個性が強く子育ての大変さを知っていたため王族の大人たちは大変そうだと思う。
その後、子どもたちがハーゼントをどこかへ必死に連れて行こうとしたため、逆らうのもかわいそうだと思ったハーゼントは導かれるままに付いて行った。すると、今まで見たどの部屋よりも一番大きく煌びやかな部屋へハーゼントは案内されたのだった。その部屋は立派な椅子と部屋の装飾以外なにもなかったがその椅子に座っている人物を見てハーゼントは目を瞬かせた。
どんと偉そうに座っているその若い男は王冠をかぶり、黒い瞳に強い意志を宿らせていた。オーラがあるとでもいうのか、どこかハーゼントが今まで見てきた人間と違う雰囲気を持つ人物である。その人物の元へハーゼントは子どもたちに連れて行かれた。
子どもたちがその男になにか一生懸命に話をしている。男は不思議そうに耳を傾け、ハーゼントがいる場所を見た。その男は「そうか」とでも言いたげに興味のない顔をしていた。ハーゼントも興味のない表情をしている。子どもたちがどのようにハーゼントのことを説明したのか分からないが、ハーゼントはこの男に対してあまり興味がなかったのだ。たぶん、この男がこの城の王で将来の自分の父親なのだろうがハーゼントは短い人間の生に執着する気はなかった。
そう、ハーゼントはこの城の王族に生まれようと決めたのだ。これだけ子どもがいれば後継者問題は持ちあがらないだろうし、逆に子どもが多ければ隠れて好きなことが出来ると思ったからだ。
それに、この若い王を見るとまだまだ子どもを作りそうだなと思ったのもある。
つづく