第三話 神童誕生
その夜。ハーゼントは子どもたちが寝静まったあと、城の明かりが弱く灯された廊下を歩いていた。先ほど行った王の間へ向かっているのだ。
中に入ると、仕事を終えた王がマントをはためかせ廊下へ出るところだった。ハーゼントは王に付いて行く。カツンカツンと靴の音を廊下に響かせながら王が向かった先は豪華な白い扉の部屋だった。ハーゼントも部屋に入ると、甘い香りがふわっと広がった。
高価な家具と花の香りの中に、ネグリジェを着た美しい女性がソファから立ち上がって王を見ていた。ふたりは言葉を交わすと、口づけをして抱きしめあった。王はひとりだけ奥の扉を開けて入ると、女性は王を見送りまたソファに座った。ハーゼントは女性にすっと近付く。流れるような金色の髪に宝石のような青い瞳をした、儚げな線の細い美しい女性だった。
長い睫を伏せ、膝に置いた白い手を見つめている。恐らく、あの王の王妃か側室なのだろう。
その後、タオルで体を拭きながら部屋から出てきた王は、女性を抱きしめ口づけすると部屋の奥にある寝室へ歩いて行った。ハーゼントは一緒に寝室へは入らず、しばらく女性がいたソファに座って月を眺めていた。すると寝室からかすかに女性の喘ぎ声が聞こえてきた。
すっと立ち上がり、ハーゼントは静かに寝室へ入って行った。そこには巨大なベッドがあり、枕元のランプに明かりが灯っている。ベッドで絡み合う男女。王が裸の女性の腰を持ち何度も腰を穿っている。その動きに、女性は幸せそうな顔で喘ぎ一生懸命に応えていた。ハーゼントはその二人の姿を静かに見ている。他人の交わりを見るのはハーゼントは初めてだったが、別になにも感じない。なぜハーゼントが寝室に来たのかというと、子どもを孕ます手助けをしようと思ったのだ。
ハーゼントは頃合いを見て二人に近づくと、絡み合っている女性のお腹に手を置いた。王が「うっ」と声を上げ欲望を解放したその瞬間、ハーゼントは女性の腹の中で子どもが出来やすいように力を与えた。
その後、ふたりは何度か絡み合い、王が達する度にハーゼントは女性の腹を触って子作りを促す。そしてハーゼントは子どもが出来たことを確認すると、魂の姿になり女性の腹の中へ入って行った。こうして、ハーゼントは人間として生を受けたのであった。
◇◆◇
ハーゼントは女性の腹の中で、少しずつ人間たちの言葉を覚えていった。この女性の名前はオフィシナリスというらしい。王の名前はアガレス。オフィシナリスがハーゼント(赤ん坊)の存在を知ったのはすぐだった。ハーゼントは知らなかったが、ここ人間界では赤ん坊が出来ると女性のお腹に特殊な印が浮かぶらしい。その印は子どもによって違うらしく、オフィシナリスに浮かんだ印は白いスイセンの模様だった。子どもは母親に浮かんだ印を自分の印として生涯生きていくことになるという。
ハーゼントはオフィシナリスの身体を通して人間界の情報を収集していった。驚いたことに、ハーゼントが会った子どもたちは全て王アガレスの子どもだった。そして、オフィシナリスは5番目の側室でハーゼントが初めての子どもであった。そのことを知り、ハーゼントは罪悪感を感じた。
なぜなら、ハーゼントは大人になる前に死のうと考えていたからだった。なるべく早く天界に戻りたかった。そして今ごろ自分を探して心配しているだろう妻と子どもたちの元へ戻り、安心させたかった。不幸神としての仕事もある。自分がいなくなれば神の国もパニックになるだろう。色んな要因を考えたとき、ハーゼントはこうするしか方法がないと思った。そのためにこの環境を選んだのだ。
だが、誤算だったのは母となるオフィシナリスが初産だったということ。
オフィシナリスが初めての子どもを失う悲しみを思うとハーゼントは申し訳なくなったのである。子どもを失う悲しみはハーゼントも良く知っていた。それでも、この方法でしかハーゼントは天界に戻れない。ハーゼントは生まれたあと死ぬまでの短い間を、オフィシナリスのために生きようと心に決める。それがハーゼントが考えた少しばかりの罪滅ぼしであった。
◇◆◇
「オフィシナリス様、この子の名前はなんですか?」
ひとりの女の子がオフィシナリス妃の部屋へと訪れた。王族の間でオフィシナリス妃が子どもを孕んだことは知れ渡っていた。オフィシナリス妃の元に毎日誰かしら王族が来てオフィシナリス妃の様子を見に来るのだ。今日は正妃が生んだ王女ネリネが来ており、ネリネはそう尋ねた。
オフィシナリス妃は穏やかで幸せそうな顔をしていた。優しくお腹をさすると、
「リデアスというの」
と言った。ネリネは「リデアス」と言うとオフィシナリス妃のお腹を撫でて耳を近づけた。
「あなたはリデアスという名前なのよ、早く生まれておいで。カラビアお姉様や、ロノウェお兄様、クリスお兄様、セーレと私ネリネが待ってるからね。あと、お父様とお母様たちも!」
ネリネはそう言ったあと、思い出したように「あっ!」と声を上げると、
「ヴィネ様のお腹にいるオリビアスもね」
ふふと笑うネリネ。そんなネリネに、オフィシナリス妃も微笑み返した。
◇◆◇
その数か月後、ハーゼントはリデアスとして誕生した。王族の多くが祝福し喜んだが、王と正妃、オフィシナリスを含む側室たちは内心複雑であった。それはリデアスが王アガレスとオフィシナリス妃にあまり似ていないということだった。
王アガレスが黒目黒髪なのに対し、オフィシナリスは金髪青目。しかし、リデアスは白髪黒瞳だったのだ。唯一似ているとするなら黒い目ただひとつ。顔立ちも、誰が見てもふたりに似ていない。そのリデアスの容姿は、不幸神ハーゼントの容姿によく似ていた。しかし、それが分かる者はこの時代の人間界にほとんどいなかった。
なぜなら、ハーゼントはめったに人間の前に姿を表さないからだ。そのため人間たちの間でハーゼントの容姿はハッキリしておらず、本によって描かれ方が違っていたりした。子どもたちも前に見たハーゼントの姿がぼんやりとしていてあまり覚えていなかったため、表立って前に会った神様に似ていると言う子はいなかった。
王アガレスはリデアスの黒い瞳を見つめて、この子は自分の子どもだと自らに言い聞かせた。
だが逆に言えばその黒い瞳がなければオフィシナリスが裏切ったということも。いや、そんなことはない。ヴィネならまだしも、オフィシナリスはそんな不誠実な女ではない。だが、もしオフィシナリスが私を裏切っているならば・・・。
王アガレスは3番目の側室であるヴィネ妃の浮気を疑っていた。それは美しいヴィネ妃に嫉妬した他の側室たちが流したただの噂だったのだが、王アガレスがヴィネ妃に確認を取ったところヴィネ妃はなにも言わなかったため王アガレスは浮気していると思い込んでしまったのだ。ヴィネ妃がなにも言わないのは、浮気を肯定しているのではなく噂を鵜呑みした王アガレスへの怒りを表しているのだが、王アガレスはそんな女心は知る由もない。
王アガレスが疑心暗鬼に陥っているころ、浮気を疑われているオフィシナリス妃はリデアスと共に部屋にいた。白い髪と黒い瞳の息子を見つめる瞳は優しい。みな似てないと口にはしないが、雰囲気から痛々しいほど伝わっていた。オフィシナリス妃は美しい女性だが大人しく繊細な性格の持ち主である。王や他の者もとうてい浮気をする女だとは思えなかった。
しかし、物的証拠かのように産まれた息子は異質な姿をしている。王アガレスはリデアスと会うことを避けるようになった。その代わり、オフィシナリスとは会いふたりで話もするが、オフィシナリス妃がリデアスの話題を出すととたんに不機嫌になりオフィシナリス妃を怒鳴って去ってしまうのだ。王アガレスからすれば、オフィシナリス妃は浮気をしていないとは思うが息子リデアスは自分の子どもとは思えなかった。
事実、リデアスの5歳になった目出度い日に、王アガレスはリデアスの王位継承権を剥奪すると宣言した。それは一城をひっくり返すような大騒ぎを引き起こしたのだった。
王子リデアスはとても優秀な子どもであった。同じ年に産まれたオリビアスも優秀だったが、リデアスは明らかに普通の子どもではなかった。幼いのに色んなことを知っており、2歳で自分のことは全てできた。
達観した大人しい性格の子どもで、文字を読むのも書くのも完璧にできていたため暇さえあれば本を読んですごしている。また容姿も非常に美しく、白い髪を肩まで伸ばしておりとても中性的な顔立ちをしていた。一見、女の子にも見えるほどに美しいので初めてリデアスを見かけた者たちはみな「あの美しい女の子は?」「さぞかし将来が楽しみですな」と口々に言い、王アガレスの顔を引きつらせていた。