第四話 聖職者ディエヌ
5歳の誕生日から数日後、リデアスが部屋で日向ぼっこをしながら本を読んでいると、ノックもせず入ってきた男の子がいた。名前をオリビアスといい、リデアスと同じ年に産まれた王子である。オリビアスとリデアスは同じ年なのもあってとても仲が良く、いつも一緒にいた。
「聞いたよ。リアは、王様になれないんだって?」
リデアスの隣に胡座をかいて座ったオリビアスは、なんの反応も見せないリデアスにムッとして頬をつついた。
「オリスやめてよ。僕には関係ないことだ。王様になれないことも、父様のことも」
「俺はめちゃくちゃ怒ってる。なんでリアがダメなんだよ?」
オリビアスは憤慨していた。リデアスは王位継承権が剥奪されると聞いて、オリビアスが怒るだろうなとすぐに思った。
「父様は僕が嫌いなんだよ」
「分かんないなー」
リデアスは長いまつ毛を伏せた。リデアスは自分が王アガレスにとって空気に等しいのを痛いほど知っていた。そして、その理由も。同じ時期に妊娠し、浮気を疑われていたヴィネ妃は産んだオリビアスがアガレスに似て黒髪黒瞳を持っていること、そして日に日にアガレスの面影が色濃く出てきたため浮気疑惑は撤回されつつあった。
王アガレスが必死になってヴィネ妃の信頼を回復させようと気を遣っているが、王からドレスや宝石が贈られる度にヴィネ妃は氷のような瞳で棄てているらしい。オリビアスはそれを面白がっており、いつもこんなことがあったと笑いながら報告してくるのでリデアスはよく知っていた。
一方、オフィシナリス妃は肩身の狭い思いをしていた。ヴィネ妃と立場が逆転したような形だ。しかし、オフィシナリス妃と王アガレスの仲は悪くはなかった。それは王アガレスがリデアスをいないものとして扱っているからだった。オフィシナリス妃はそれを感じつつも、愛する王アガレスから愛されたい女性としての気持ちと、リデアスを実の息子として認めてもらいたいという母親としての気持ちで葛藤していた。
葛藤しすぎて身体を病んでしまい、いまはずっと部屋で療養している。リデアスはしょっちゅうその部屋に通い、オフィシナリス妃を喜ばせていた。
リデアスは悔やんでいた。まさか容姿が神の姿のまま産まれてくるとは思ってもいなかったからだ。そして、そのせいでオフィシナリス妃は心を病み、王アガレスとの間に見えない溝が出来てしまった。
自分がこの容姿で産まれたせいでふたりを引き裂いてしまった。こんなことになるのならここを選んだのは間違いだったのではとリデアスは後悔していた。だが、王アガレスから忌み嫌われようとも、王位継承権を剥奪されようともリデアスはどうでもよかった。オフィシナリス妃が幸せになってくれることだけを考えていたからだ。
人間として産まれたからか今のリデアスに神としての力はなかった。容姿はハーゼントのそれだが、リデアスはただの人間であった。少々、ほかの子より頭がよかったり出来ることが多いのは神としての力ではなく、ハーゼント自身の才能によるところが大きい。
そのため、リデアスは自分にできる範囲でオフィシナリス妃の元に訪れ、身体にいいものや安らぎを与えようとした。そんな健気で優しいリデアスを周りの者たちは涙ながらに見つめていた。
リデアスとオリビアスが6歳になり、家庭教師が付くようになるとリデアスはさらに才能を発揮した。家庭教師たちが絶賛するほどの頭の良さと美貌、そして母を敬う優しい王子になぜ王位継承権がないのか問う声が増えて行った。
王アガレスはリデアスが成長する度に聞こえてくる賞賛と感嘆の声を煩わしく思うようになっていった。王アガレスはリデアスを自分の子どもだと思っていなかったため、ほかの子どもたちに期待していた。リデアスよりも賢く、美しく、そして心豊かな子どもを求めた。それは、日々強くなるリデアスの評判が王アガレスにとって無視できなくなるほど大きくなっていた証拠だった。
特にリデアスと同じ年のオリビアスに王の期待が寄せられた。リデアスよりも優秀になれと声をかけられ、過剰な期待をその小さな肩に背負うことになった。また、同じく6歳になったオリビアスは誰が見ても王アガレスにそっくりだっためほかの子どもより大きな期待を受けたのもあった。オリビアスはそれが嫌で嫌で仕方がなかった。誰より近い兄弟のリデアスと競うなど、無意味だと思っていたからだ。
リデアスにはオリビアスのほかにも仲のいい兄弟がいた。2つ上の姉ネルネ王女と、1つ下の弟クラウディオである。オリビアスとネルネ、そしてクラウディオ以外の兄弟は父であるアガレスの態度を見て真似したり、リデアスを煙たがるようになっていた。王に認められることが全てだと思い込んでいる兄弟にとって神童とされるリデアスの存在は邪魔だったのだ。だがそんな中、この3人はいつもリデアスの味方をしてくれたのだった。
リデアスは傍から見ると王位継承権もなく、王アガレスから空気のように扱われている可哀想な王子に見えたが実際はそうではなかった。リデアスは淡々としていたし、周りには必ず人間がいた。リデアスは不思議な子どもで、家族以外の人間なら誰しもが魅了された。人を惹きつける特別ななにかをリデアスは持っていたのだ。それがまたほかの兄弟や王アガレスの癪に触り、リデアスはますます浮くようになっていく。だかリデアスはそれでよかった。いずれすぐ死ぬ命なのだから。
それに浮くのはなにも初めてではない。神として生きていたときすでに大いに浮いていたのだ。不幸神ハーゼント。神々の中で唯一、負の名前を持つ神として、人間からも、そしてほかの神々からも一定の距離を置かれていた。そのことを思い出し、思わずリデアスは苦笑する。
そんなある日、リデアスとオリビアスは城にきた聖職者と会っていた。聖職者とは、神々と人間の仲介を担う者たちのことである。神から加護を受けている者が多く、加護を施した神を一生慕い続ける。ちなみにハーゼントは人に加護を施したことがないので、不幸神の聖職者は存在しなかったりする。加護を施す人間にも条件があり、その神とかかわりの深い者でなければならないため、人間とあまり直接かかわることのないハーゼントのような神には聖職者が少ないのだ。
彼は名前をディエヌといい、自分は厳格と戒めの男神ジークの加護を受けていると言った。ジークといえば街を守る警備団や城の騎士達から多く慕われている神である。ディエヌもかつてはこの城の騎士だったそうで、聖職者になったあとも愛剣を手放さず常に帯刀しているらしい。腕もかなり立つようで、時には同じ聖職者の護衛もしているそうだ。
ディエヌは王子たちに神話を教えてくれた。どんな神々がいて、どのような仕事をしているのか。歴史や逸話を面白おかしく話してくれるので、すっかりオリビアスは夢中になった。特に男神ジークが巨大な蛇龍を倒した話しに興奮し、ディエヌも一段と熱く語ったったのだった。さすがはジークの聖職者だとリデアスは思う。慕っている神の話になるとテンションが上るのはよくある話だった。
ディエヌが去る頃にはすっかりオリビアスもジークのファンになっていた。リデアスは実際の出来事を知っているため、ディエヌが話した巨大な蛇龍との戦いがかなり脚色されていることに気が付いた。恐らくジークがわざと大袈裟に伝えたのだろう。見栄っ張りなやつだ、とリデアスは半分呆れた。
ちなみに不幸神ハーゼントの話はほとんど出てこなかった。神々の紹介のときにチラリと出てきたくらいだ。オリビアスがどんな反応をするかと様子を見ていたが、オリビアスは「ふーん」と大して興味なさそうだったのでちょっと笑った。
◇◆◇
ディエヌが去っていった翌日。リデアスがいつもと同じように部屋の窓辺で本を読んでいると、窓の外から「やあ! とう!」と掛け声が聞こえてきた。
見てみると、なんとオリビアスが剣の稽古を受けているではないか。きっと男神ジークの話に感化されたにちがいない。しかし、筋はいいようで何年かすれば腕利きの剣士になるだろうと絶賛されていた。
「リアも一緒にやろうぜ!」
何日かするとオリビアスがリデアスを稽古に誘ってきた。リデアスは運動が苦手だったので一度断ったが、姉のネルネがそれを聞いて「いつも本ばっかり読んでるから体力がないのよ!」と無理やり稽古場に連れて行かされてしまった。リデアスは反論できなかったので、渋々、剣を習うことにしたのだった。
剣など持ったことも振ったこともないリデアスは、最初は目も当てられないほど下手だったが、基礎を積み上げていくうちに上達していった。オリビアスと打ち合いしても互角で戦えるようになり、オリビアスはなかなか勝てなくてひどく悔しがった。
そんなある日。リデアスが初めてオリビアスに勝った。するとオリビアスは地面を蹴って怒り、異様に落ち込んでしまったのだった。剣の先生がなだめるが、しまいには走ってどこかへ行ってしまった。
大人たちが放っておきなさいと言う中、リデアスが追いかけるとオリビアスは自分の部屋で項垂れていた。
「俺、リアと同じ年なのになんにも勝てない......」
好きな剣で負けたのがよほどショックだったらしく、自信をなくしたオリビアスはそうつぶやいた。リデアスはその夜、そっとまたオリビアスの部屋を覗くとそこにはベッドにうずくまって泣いているオリビアスがいたのだった。リデアスは静かに近づいて隣に座ると、オリビアスは来るのが分かっていたような目を向ける。
「オリス」
リデアスが名前を呼んだ。オリビアスは顔を逸らす。
「なんだよ」
ぶっきらぼうに答えるオリビアスに思わず苦笑すると、リデアスは指を折って数え始めた。
「5つかな」
「なにが?」
「僕がオリビアスに勝てないこと」
オリビアスはすぐに顔を上げた。リデアスは一つひとつ声に出して説明した。
「社交性があるところ、好きなことに真剣になれるところ、周りの人を明るくさせるところ、人の痛みが分かるところ、家族を大切にするところ」
これはオリビアスが勝っていること、というよりはリデアスがオリビアスの好きな部分だった。いつも感情を表に出さないリデアスが珍しく微笑むのを見て、オリビアスはちょっと驚く。
「オリビアスは誰とでもすぐに仲良くなれるし、人当たりもいい。素直だし、すごく明るい。君は周りから愛される人間だ」
リデアスの言葉にオリビアスは目を見開いた。ぐっと涙を拭くと、オリビアスは照れたように頬を赤くして「ありがと」と答えたのだった。
「ちょっと元気でた」
オリビアスがにっと笑顔になるとリデアスも嬉しくなる。この時、ふたりはまだ9歳だった。
つづく