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第六話 神獣

 「母様、今日は歴史の勉強をしたよ。そしたら隣で大きなイビキが聞こえてきたんだ。始まって10分も経ってないのにオリスがもう寝てたんだよ」
「あらあら、ふふっ。オリビアスは面白いわね」

 暖かい陽射しが降り注ぐ部屋の中で、リデアスと母親のオフィシナリス妃は笑っていた。オフィシナリス妃はベッドで横になっており、ベッドの脇にある椅子にリデアスは座っている。
 
「歴史の先生がカンカンでね。すぐに父様に報告しに行ったから、オリスの顔が真っ青になってたんだ」
「ふふふっ。・・・リデアス、こっちへおいで」

 ふと、オフィシナリス妃が手を伸ばしてきた。リデアスが椅子からベッドに移動すると、オフィシナリス妃はリデアスを胸に抱きしめた。
 
「母様?」
「ああ、リデアス。私の愛しい子・・・。私を心配して毎日来てくれるのはあなただけよ。ありがとう」
 
 オフィシナリス妃は愛おしいそうにリデアスの頭にキスをした。オフィシナリス妃はリデアスを見つめ、白く美しい髪を撫でた。リデアスはドキリとする。
 
「ごめんなさいね。あなたを黒髪に産んであげられなくて・・・。この間、医師から聞いたの。世の中には髪が白く産まれる子が一定数いるそうよ。アルビノというらしいわ」
「母様・・・」
 
 リデアスはオフィシナリス妃を見上げた。オフィシナリス妃は微笑んでいた。
 
「あなたもきっとそうじゃないかと思うの。少ししたら王に言ってみるわ。きっと分かってくださるはず」
 
 リデアスは苦しくなった。それを言ったところで王アガレスは絶対に認めはしないとリデアスは分かっていたからだ。それにリデアスはアルビノではなかった。これは神の姿なのだ。
 
「母様、僕は気にしないよ。父様に認められなくても、王位継承権がなくても。僕は母様が幸せならそれで・・・」
 
 オフィシナリス妃は瞳を伏せて、静かに涙を流した。
 
「ああ、リデアス・・・私の天使。ごめんなさい、愛しているわ」
「僕もだよ、母様・・・」
 
 リデアスはぎゅっとオフィシナリス妃の細い身体を抱きしめた。側に控えているメイドが涙を流している。


 オフィシナリス妃の部屋を出て、廊下を歩きながらリデアスは考えた。恐らくオフィシナリス妃が新しい子どもを産むのはもう難しいだろう。ならば、せめてオフィシナリス妃が亡くなるのを見届けてから死にたいと思う。彼女が亡くなった息子のことを思いながら死んでいくのは、あまりにも悲しすぎる。
 
 すると、向こうから弟のクラウディオが駆け寄ってきた。リデアスと仲のいい数少ない兄弟のひとりである。
 
「リア兄様!」
「クラウディオ、どうしたんだ?」
 
 クラウディオは金髪と蒼い瞳の美しい男の子である。性格も優しく、美術に興味があるようで絵を描くことが得意だった。
 
「南町に美しい神獣がいるんだけど、かなり暴れてて大変らしい! いま父様が対応してるけど、聖職者が来るのに時間がかかってるみたい」
「神獣がここに?」
 
 リデアスは驚いた。神獣とは天界の生き物で、神々が使役している特別な獣のことである。角と大きな翼を持った馬の姿をしており、全身が黄金に輝いている。神々が移動手段として使うことが多く、天界ではよく見かけるがめったに人間界で見ることはないのだ。
 
 なぜ天界の生き物が人間界にいる?
 
 リデアスは疑問に思ったが、クラウディオに頼んですぐに神獣の元へ連れて行ってもらった。
 
「あれだよ!」

 クラウディオが指さした先には多くの人が集まっており、巨大な神獣がヒヒーン!といなないて暴れていた。町から引き離したのか町外れにある草原の丘にいる。
 
 神獣は3mほどある大きな個体で、人間たちが落ち着かせようにも大きすぎてどうすることも出来ないようだった。見ると、神獣のすぐ側に王アガレスがいて神獣に向かって手を挙げている。手懐けようとしているのか、必死に声をかけているが効果はあまりないようだった。
 
 神獣は普段とても大人しく神々に従順だが、よほどパニックに陥っているのかいまにも人間を蹄で踏み殺しそうだった。人間を殺せば天界へは二度と戻れなくなる。かといって神獣は人間界では生きられないため、このままではあの神獣は死んでしまうだろう。
 
「ピィー!」
 
 リデアスが指笛を鳴らした。これは神々が神獣を呼ぶときに使う特別な呼び方だった。普通の指笛とは違い、音程にちょっとしたコツがいるのだ。とたんに神獣がピクっと反応したかと思うと、バサッと10m以上ある巨大な翼を広げた。そしてそのまま飛び上がり、リデアスの元へ優雅に舞い降りたのだった。
 
「わあー!」
 
 クラウディオが目を見開いて歓声を上げる。大勢の人間たちがぎょっとする中、リデアスに近付いた神獣は大きな頭を垂れて大人しくなったのだった。リデアスは神獣の美しい姿を見て懐かしい気持ちになった。こうやって神獣を呼び、大空を駆け回っていた記憶が蘇ってくる。
 
 リデアスが鼻面を撫でると、神獣は嬉しそうにヒヒーンといなないた。クラウディオが神獣のあまりの美しさにポカーンと口を開けながら神獣を見上げている。それを見て、オリビアスや姉のネルネも連れてこればよかったとリデアスは思った。神獣など人間にとってめったに見られるものではないからだ。
 
「すごい! なんて美しいんだ! リア兄様すごいよ!」

 明らかに手懐けている兄を見て、クラウディオは興奮の声を上げた。すると、向こうから大勢の人々が歩いて来るのが見えた。王アガレスが苦虫を噛み潰したような顔をしている。なぜリデアスが神獣を手懐けたのか分からないのだろう。

「あんなに暴れていた神獣が...
「あの王子は一体何者なのですか?」
「素晴らしい! 神獣を手懐けたなんて初めて聞きましたぞ」
 
 人々は感動して王子のことを聞きたがった。王アガレスはそんな群衆にはなにも答えず、リデアスと神獣を交互に見ては忌々しそうに舌打ちをしたのだった。
 
「王! 神獣を自由に手懐けられれば、我が国が他の国を出し抜くのは夢ではないかと」
「神獣を持つ国! なんと美しい響きか!」
 
 リデアスは不穏な空気に目を細めた。クラウディオも大人の言葉に踊らされて、この美しい神獣が自分たちの物になることを夢見ているのかうっとりした顔で神獣を見つめている。
 
 しかし、王アガレスは声高々に群衆を鎮めた。
 
「我々が神獣を従えるなど許されぬことだ。神々のものを盗む行為をすれば、我が国は消されるだろう!」

 とたんに押し黙った群衆に向かって、王アガレスは険しい顔を向けた。
 
「欲があるものは醜い。神獣は天界へ返す。異論は認めん! リデアス、分かったか?」
 
 リデアスは王アガレスが自分へ声をかけて来たことに驚いた。
 
「王のご意見に同意いたします」
 
 リデアスがそう言うと王アガレスは静かにうなずいた。
 
 神獣を見上げる。澄んだ瞳がリデアスを見つめていた。この神獣は自分が神だと分かっているようだとリデアスは思う。でなければ、ここまで人間に懐くことはない。
 
『お前は賢い子だ』
 
 天界の言葉でそうつぶやくと、黄金の毛並みを優しく撫でる。神獣は微笑んだように見えた。ヒヒーン!といなないて前足を上げると、巨大な翼を広げて飛び立った。空へ登っていく姿が見えなくなるまでみなで見送ると、一人、そしてまた一人その場を立ち去って行く。
 
 草原の丘に残った王アガレスとふたりの王子は無言で見つめ合った後、静かに並んで歩き出したのだった。


つづく

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