『薬毒の魔女リーシェナ』
-前編-
とある奥深い針葉樹の森に“薬毒の魔女”と呼ばれる魔女がいた。
その魔女は名をリーシェナという。10代くらいの幼い姿をしていたが、実年齢ははるかに高かった。魔女は、魔力がある限り永遠に生きるとされており、彼女もまたその運命に囚われていたのだ。
時代が変われば魔女の扱いも変わる。人間と過ごしていた時期もあったが、いまは魔獣が増えたせいで魔女の肩身は狭く、半ば身を隠すようにひっそりと森の中で暮らしていた。魔獣が増え人々に疫病や災害がもたらされると、人間たちは魔女が魔獣と手を組んでいるという噂(デマ)を流したからだ。
そのためリーシェナたち魔女は人々から迫害を受け、多くの魔女が意味のない裁判にかけられた。
元々、無口だったリーシェナは人里から逃げてひとりで暮らすうちに段々と言葉を話さなくなっていた。最初は話すのが面倒くさいという思いが強かったが、次第に声の出し方を忘れてしまった。それほどリーシェナは長い間、ひとりでいたのだった。
いまは森の奥の小屋で薬草を何種類か育てており、薬草と触れ合うことがリーシェナにとって唯一の癒しであり、生きがいだった。
そんな寒い冬のある夜。強烈な寒波が森を襲った。小さな魔女の小さな屋は猛吹雪によりガタガタときしみ、いまにも吹き飛びそうだった。窓も開けられないほどの吹雪に、リーシェナは小屋の隣に建てた温室が無事か気が気ではなかった。その温室には、長年大切に育てている貴重な薬草たちがぬくぬくと根を張っているのだ。
不安に押しつぶされそうになりながら一晩明けた。猛吹雪は去り、雲の間から輝くばかりの青空が見える。リーシェナは吹雪が止んだ瞬間に背丈ほど高く積もった雪をかき分けながら急いで温室へ向かった。
大量の雪のせいで半球状の温室は雪に埋もれてしまっていたが、なんとか持ち堪えていた。リーシェナは使い魔である土狐のナノと一緒に1時間かけて雪を掘り返すと、なんとか温室の扉を開くことが出来たのだった。
温室の中は雪に埋もれていたせいで薄暗かったが薬草は無事だった。寒さで少し弱っていたため、すぐに温室の中にあるランプに魔力を込めるとランプはぼーっと光を発した。
光が温室を照らしたとき、使い魔のナノがキュイ!と驚いた声を出したのだった。
リーシェナが見ると、なんと温室の土に埋もれるようにして見知らぬ男の子が倒れていたのだった。
男の子は防寒具を着ていたが、吹雪の中この温室に迷い込んだのかあちこち濡れており、ブルブルと寒さに震えていた。
「……!?」
リーシェナは驚きすぎてしばらく呆気にとられていたが、ナノに突っつかれて我に返ると急いで男の子を暖かい小屋へ運んだ。そして体温を逆に奪っている防寒具を無理やり脱がせると、急いで湯船にお湯を沸かしたのだった。男の子の肌は寒さで赤くなっており、ブルブルとひどく震えていた。
湯の中に手を入れて熱すぎない温度になっているか確認するとリーシェナは魔法で男の子を運び、ゆっくりと湯船の中に入れた。
「あぐぅ…!!」
その瞬間、痛みが走ったのか男の子は叫び声を上げ、あまりの激痛にまた気絶したのだった。
リーシェナは男の子にお湯をかけて必死に暖めた。
リーシェナは薬毒の魔女と呼ばれるだけあって薬草に強かった。人間たちと仲良く暮らしていたときは病を治す手助けをしていたため、リーシェナには少し医学の知識もあった。
人間たちと暮らしていたときに得た医学の知識が役に立った・・・。よかった。
幸いなことに男の子は軽い凍傷で済んだ。凍傷は酷くなると組織が壊死してしまうのだ。
男の子を湯船で暖めながら、リーシェナは男の子の顔をまじまじと見つめた。慌てていたのでじっくり顔を見ている暇がなかったのだ。男の子はサラサラの黒髪を肩まで伸ばしており、肌は白い陶器のようにシミひとつなかった。伏せられた長いまつ毛とその整った容姿に女の子と言われても納得してしまいそうだ。
「キュイ?」
ナノが男の子を見て首を傾げる。リーシェナも首を傾げた。男の子の耳がすこし尖っていたからだ。リーシェナの知る限り尖った耳と黒い髪は魔族の特徴である。
なぜこの森に魔族の子どもが…?
リーシェナはさらに首を傾げた。
魔族といえば魔女の対とされる一族である。高い魔力を持ち高潔で傲慢。非常にプライドが高いため、人間を下等種族と見下しており人間が近寄れないシュトガレオンの山脈で暮らしている。
この世界ではよく魔女と比較されるが、大きな違いとして魔女は人間と暮らし、魔族は人間を毛嫌いする。魔女は人間に益をもたらすこともあるが、魔族は基本的に破壊を好むということ。
魔族の住むシュトガレオンの山脈はこの森からかなり遠いところにある。また、彼らは子どもが出来にくいため非常に子どもを大切にするのだ。長く生きてきたリーシェナでも魔族の子どもを見るのは初めてだった。
十分身体が温まったところで身体を丁寧に拭き、リーシェナの暖かい寝巻きを着せてあげるとベッドに運んだ。毛布をかけて身体の隙間に押仕込む。こうすると熱が逃げないのだ。
ナノが枕元にちょこんと座り、心配そうに男の子を見下ろした。リーシェナも同じ気持ちだった。ナノのふんわりとした茶色の毛並みを撫でてあげると、気持ちよさそうにスリスリと鼻を寄せてくる。
「……」
リーシェナは顔にかかった男の子の長い前髪をそっとよけてあげると、朝食を食べるためにヤカンのお湯を沸かした。
男の子は何日も目を覚まさなかった。
時折、悪夢にうなされるように苦悶の表情を浮かべて汗をびっしょりかくのでリーシェナは夜中、男の子の呻き声が聞こえる度に汗を拭いてあげた。そして何度も声をかけようとするのだが、リーシェナの口からは空気しか出なかった。
「……っ」
そこでリーシェナはハッとする。あまりに長い間ひとりでいたせいで声の出し方を忘れてしまったということを。口をパクパクさせて何か言おうとしても舌が上手く回らない。
リーシェナは声を出すことを諦めると男の子が少しでも悪夢にうなされないように、眠り草のお香を焚いてみたがあまり効果はなかった。逆にリーシェナに効きすぎてしまい朝に目が覚めると汗びっしょりになった男の子が寒さで震えていることがあり止めたのだった。
男の子を温室で発見してから一週間が経った。その頃には雪もだいぶ解けていたため、リーシェナは温室の周りの雪をどかした。その際、雪の重みに耐えられず壊れた箇所を発見して修理したりもした。そうこうしていると、寒さですっかり手が真っ赤になり、リーシェナの小さな鼻も赤く染まった。手に息をふきかけながら小屋の扉を開いた瞬間、リーシェナは目を見開く。男の子がベッドから起き上がっていたのだ。
男の子はリーシェナを見てビクッと震えると、怯えたように後ずさりした。リーシェナがバタンと扉を閉じ近付こうとすると、男の子は魔族の言葉を発して手を前に突き出した。
その瞬間、強い光が放たれリーシェナを攻撃したのだった。リーシェナはとっさに防御の魔法で身体に結界を貼ると男の子の攻撃魔法はそれにぶつかって飛散する。
まさか相手が魔法を使うとは思わなかったのだろう。男の子はびっくりした目でリーシェナを見つめた。魔族特有の金色の瞳だった。
「キューイ!」
ナノがあわてて男の子とリーシェナの間に入り、仲裁しようとする。すると男の子は起きて早々急に魔力を使ったせいかまた気絶してしまったのだった。
「……」
リーシェナは男の子が自分を攻撃してきたことにさほどショックを受けていなかった。攻撃的な魔族ならやりかねないと予想していたためだ。
彼らは高潔だが孤独でもあった。自分たちの仲間以外はすべて敵だと思っているのだ。魔族の子どもならなおさら一族以外の生き物を見るのは初めてで恐ろしかったに違いない。
少しして男の子は目を覚ました。リーシェナは男の子のために作ったスープを温め、スープ皿に盛って男の子に見せた。何日も寝ていたせいでお腹がすいているだろうと思ったのだ。
男の子は恐る恐るリーシェナを見上げたが、スープのいい匂いにつられてお腹がグーっと鳴った。一向に食べようとしないのでリーシェナが男の子の口にスプーンを突っ込んだ。
「…むぐっ!?」
「………」
ナノはふたりの様子をハラハラした目で見ている。
「…おいしい」
男の子がぽつりとつぶやく。リーシェナは少し微笑むと、男の子の口元に何度もスプーンを運んでやった。男の子は大人しくなり、じっとリーシェナを見つめてきた。すべて食べ切ったので、リーシェナは男の子を休ませるため布団をかけてぽんぽんしてやる。すると布団の隙間からじーっと見つめてきたためリーシェナは居心地が悪かった。
「………」
昼食を食べている間も視線が気になり、リーシェナは男の子を見た。男の子はさっと布団を被って隠れてしまうがしばらくするとそろそろと隙間から伺うのだ。まるで恥ずかしがり屋の猫を相手にしているようでリーシェナは可笑しくなった。
クスリと笑うリーシェナに男の子は目を瞬かせる。
その日の夜。いつもと同じように夢にうなされていると、温かい手が頬に触れた。男の子はぼんやり目を覚ますと涙で霞む視界の向こうに、心配そうに覗き込むリーシェナの姿があるのが分かった。安心させるように何度も頭を撫でて、汗を拭いてくれるリーシェナに、男の子は少しだけ心が温かくなるのを感じた。
「キュイキュイ」
翌朝、目覚めたリーシェナはナノを撫でている男の子と目が合った。ちなみにリーシェナは男の子を拾ってからずっとソファで寝ている。
ずいぶんと使い魔が懐いているのを見ると、どうやら魔物は魔族のことが好きだという情報は正しいのだと認識する。ちなみに魔物と魔獣の違いは凶暴かそうでないかだ。
男の子はおずおずと口を開いて、攻撃したことを謝ったのだった。
「………」
なにも言わないリーシェナをてっきり怒っているのだと思った男の子は怯えた顔をした。リーシェナは無口でしかも感情表現も苦手なのだ。
リーシェナは首をフルフルと振ると、少し微笑んだ。男の子はほっとする。
「僕、フィオリア。あなたは?」
「………」
リーシェナはベッドに腰掛け、男の子に自分の名前を言おうとした。だが、言葉が出てこない。
パクパクと口が動くだけのリーシェナをフィオリアは不思議そうに見る。リーシェナは仕方なく空中に魔力を漂わせて文字をつくると「Riessena」と名前を表現した。
「リー…シェナ?」
「………」
リーシェナがこくんとうなずいて見せる。その時、フィオリアは初めて微笑んだのだった。それはまるで天使のような微笑みだった。
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「リーシャ! これを瓶に詰めればいい?」
数ヶ月後、フィオリアはすっかり元気になっていた。初夏の日差しが降り注ぐ中、フィオリアはリーシェナの仕事を手伝ってくれている。それに、フィオリアはリーシェナを愛称で呼んでくれるようにもなっていた。
リーシェナがうなずいて見せると、フィオリアは手に持っていた薬草を大瓶の中に入れた。
最初は警戒して攻撃してきたフィオリアもいまではリーシェナに懐き、一生懸命に日々の生活を手伝ってくれている。決して強制したわけではないのだが、フィオリアは自らリーシェナの役に立とうとせっせと動いてくれるのだ。
そんなフィオリアがかわいくないわけがない。リーシェナは無表情の自分がふと毎日のように緩んでいることに気付いた。ナノもそれに気付いているのかここずっと機嫌が良さそうだった。
「リーシャ、出来たよ!」
「………」
不思議なことにフィオリアはリーシェナが話さないことに対してなにも聞いてこないし、さほど気にしていないように見えた。その代わりたくさん話しかけて来てくれるのでリーシェナは話し方を忘れてしまった自分が歯がゆかった。
何度も言葉を話そうと口を開けるのだが、思うように声が出ないのだ。いくら長い間、人と接してなかったからと言ってもこれはさすがに重症だとリーシェナ自身も分かっているのだが、如何せんどうしても言葉が出ない。
「………っ」
出るとしたらこんな言葉にもならない声だ。それでもフィオリアは満足らしく、いつも天使のような微笑みを向けてくれる。
フィオリアと話がしたかった。シュトガレオンの山脈にいるはずの魔族がなぜあんな真冬の、しかも猛吹雪の日に温室にいたのか。フィオリアの家族はどうしたのか……。
言葉でなくとも魔法文字で聞けばいいと思うが、なんとなくフィオリアにそれを訊ねた瞬間にフィオリアが去ってしまう気がして気兼ねしてしまう。ナノとふたりきりだった時期が長すぎて、久しぶりに他人の温もりに触れたせいだろうか。
気付けば、リーシェナはフィオリアが望めばずっとここに居て欲しいと思うようになっていた。
だが、リーシェナにはそれが叶わないことは分かっていた。フィオリアは魔族なのだ。いつかは家族の待つシュトガレオンの山脈に帰らなくてはいけない。
それに、魔女と魔族が一緒に暮らすなど聞いたこともなかった。フィオリアはもしかすると幼すぎてリーシェナが魔女だということを分かっていないかも知れない。いや、魔女という存在すら知らない可能性がある。
フィオリアの年齢はリーシェナが見た限りだと10歳くらいだが、魔族は年の数え方が独特なため合っているかすら分からなかった。
「………!」
そこでリーシェナはハッとした。子どもといえば勉強だ。なにか教えたほうがいいのだろうか。
リーシェナはうんうん悩む。だが、長年引きこもっていたせいで森の外がどうなっているのか一切知らないリーシェナに果たして教えることがあるのかとも思う。
そんなある日。いつも通りフィオリアと薬草を育てていると、リーシェナはピンと閃いた。
そうだ、薬草のことなら教えられる。
リーシェナは会話ができないため、空中に魔法文字を浮かべて薬草の名前や効能をフィオリアに教えはじめた。フィオリアは非常に呑み込みが早かった。それはリーシェナも驚くほどの吸収率で、まるで綿が水を吸うかのごとくだった。
教えたことはすぐに覚えたので、前々から頭はいい子なのだろうなと思っていたが、複雑な薬草の名前や効能、よく似た薬草の見分け方も難なく覚えてしまったフィオリアにリーシェナは感嘆した。
「キュイキュイ!」
しかもフィオリアはナノの使い方も上手く、使われているナノも満更でもなさそうだった。ナノは土狐という魔物で、土を操ったり肥料を作るのが得意な変わった魔物なのだ。リーシェナはちょっと嫉妬した。
フィオリアが薬草のことを全て学び終えると、次は薬の作り方を教えた。たくさんある薬草の中から組み合わせや配分を変え、様々な薬を生み出すのだ。リーシェナは薬毒の魔女なだけにかなり薬に詳しかった。
「へー、テヘナ草と紺花草を1対2ですり潰すと目薬になるんだ!」
そういって笑いながらゴリゴリと薬草をすり潰すフィオリアは、やはり天才だった。リーシェナが長い時間をかけて研究した膨大な薬の調合を一瞬で暗記し、さらに遊びと称して新薬を調合しはじめたのだ。リーシェナはド肝を抜かれた。
私はとんでもないものを拾ってしまったのかもしれない…。
フィオリアが蝶々草と光苔でシュル病に効く薬の上位互換を作ってしまったときは、リーシェナも驚きすぎて思わずふらついた。
「………」
生き生きと成長しているフィオリアを見ると、リーシェナもこのままではいけないと思う。
フィオリアよりも遥かに長い時を生きているのに、会話ひとつ出来ない自分が情けない。前を向いて変わりたい。
決心をしたリーシェナはある日、久しぶりに仲間の魔女へ手紙を書いた。話し方を忘れてしまったという悩みを書き助けを求めたのだ。自分だけではどうすることも出来ないと判断したからだった。魔法で手紙を鳥に変身させると大空へ放つ。
魔女が迫害を受けるようになり、それまで連絡を取り合っていた魔女たちの足取りも掴めなくなった。
一体どこにいるのか、果たして生きているのかすら分からない。返信がいつ返ってくるのかも分からなかった。それでも自分と同じようにひっそり身を隠しながら生きているのだとリーシェナは信じたかった。
「リーシャ? どうしたの?」
「………!」
フィオリアと夕食を食べている時、ついリーシェナは交流していた魔女たちのことを考えていた。
なんでもない、と首を横に振ると、フィオリアは心配そうな顔をした。
「僕、リーシャが好きだよ。だから、リーシャが悲しい顔をしてると僕も悲しい」
「………っ」
フィオリアの優しい言葉にリーシェナは温かい気持ちが込み上げてきた。リーシェナはフィオリアに微笑みかけると、声は出ないがありがとうと口をパクパクさせる。フィオリアも微笑み返してくれた。
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温室でフィオリアを見つけてから、1年が経とうとしていた。厳しい冬の季節がまたやってくる。最近、悪夢を見なくなっていたフィオリアだったが、寒くなるにつれてまた悪夢にうなされるようになった。苦しそうなフィオリアを夜中に見る度にリーシェナは胸が苦しくなる。
どうしてそんなに悪夢を見るのだろう。温室で倒れていたあの日、一体フィオリアになにが起こったのか。
リーシェナはいままで訊けなかったことを思い返す。リーシェナとフィオリアの関係は、お互いが暗黙の了解のように立てたルールの中で成り立っている。それは、お互いのことを知ろうとしないことだ。
なぜリーシェナが言葉を話せないのか。あの日、フィオリアはどうして温室にいたのか。
これに触れないことで成り立っている関係のような気がした。
リーシェナはフィオリアが訊いてきても別にいいと思っていたが、その説明をするためには魔女の迫害の歴史を話さないといけないのが辛かった。なぜこんな森の中でひとり暮らしているのか、という質問も同じだ。
リーシェナの話したくない思いをフィオリアはなんとなく感じ取っているのかも知れない。
つまり、その暗黙の了解にリーシェナは甘えていたのだ。踏み込めばフィオリアが居なくなる気がして、向き合うことを避けて・・・。
「………」
このままではいけない。けれど、どうしてもフィオリアを失うと思うと訊ねることが出来なかった。そして、手紙の返信はいつまで経っても来なかった。
向き合う勇気が持てなかったそんなある日。リーシェナとフィオリアはいつも通り温室で薬草の世話をしていた。そんな時ふと、リーシェナはなにかがこちらへ向かっていることに気が付いた。
その瞬間、リーシェナは何重もの結界を小屋と温室にかける。それは隠密の効果のある魔法で、リーシェナが誰にも気付かれず何百年も森の中で暮らせた理由だった。
しかし、その結界は意味をなさなかった。一瞬で強力な攻撃を当てられリーシェナの魔法は粉々に破壊された。
「……!?」
「リーシェナ!」
あまりに大きな衝撃に温室が耐えられなかったのか半球状の屋根が落ちてくる。リーシェナはフィオリアに覆いかぶさって精一杯の防御魔法を展開した。
「フィオリア様! お怪我は!?」
「ああ、ご無事で良かった。お迎えに参りました」
激痛に顔を歪ませながらリーシェナが顔を上げると、3人の魔族が立っているのが見えた。そして、魔族たちに囲まれているのがフィオリアだということも。
「………っつ!」
リーシェナはフィオリアを呼ぼうとしたが上手くいかなかった。それでも声が届いたのか、フィオリアが振り返る。リーシェナは生涯この瞬間を忘れない。フィオリアのあの苦しそうな表情を。それはまるで、悪夢にうなされているようなーー。
リーシェナは手を伸ばした。フィオリアも手を伸ばす。だがその手が触れ合うことはなかった。フィオリアの手は魔族に阻まれ、そのまま連れていかれてしまう。
「リーシャ…ごめん」
いやだ。連れていかれてしまう。いやだ。
いやだ。いやだ。
魔法が展開され、黒いオーラが魔族たちを包み込んだ。フィオリアの顔が黒いオーラで見えなくなる。
「……っ、フィ・・・オ」
その声はもうフィオリアには届かなかった。転移魔法を使ったのか魔族たちはフィオリアを連れて一瞬で姿を消してしまった。リーシェナの頬に冷たいものが伝っていくのが分かった。
魔族にフィオリアを連れ去られた。いや、彼は帰っていったのだ。家族の元に。
リーシェナはそう思おうとした。けれども、フィオリアの別れ際の苦しそうな顔がリーシェナの胸を締め付けていく。
魔族の攻撃で半壊した小屋はもうダメだった。温室も見る影もない。魔族の魔力は膨大だと聞いていたがリーシェナもここまでとは思っていなかった。
魔族たちはフィオリアを探していたのだろう。そして、連れ戻しにきたのだ。だが、魔族たちがフィオリアを様付けで呼んでいたことが引っかかった。もしかすると、フィオリアはただの魔族の子どもではないのかも知れない。
でも、もうその事を知ることは出来ないけれど…。
リーシェナは破壊された小屋と温室の前で泣いた。
心がぽっかりと穴があいたような、大切なものを失った気持ちだった。ナノもフィオリアが居なくなりクーンと悲しそうに鳴いている。
数時間後、リーシェナは瓦礫の中から無事だった薬草の種や鉢植えをまとめると、風呂敷に包んでかついだ。半壊した小屋では厳しい冬を越せないので別の場所へ移動しようと思ったのだ。
確か、この森を東へ抜けた先に村があったはず。そこで冬の間だけ人間のふりをして身を置かせてもらうしか無い。だが、ただでさえ食べ物の少ない時期によそ者を迎え入れる余裕が村にあるのだろうか。
俯きがちに森の中を歩いていると、魔法の鳥が空から舞い降りてきた。リーシェナは目を見開く。それは、紛れもなくリーシェナが魔女に送った手紙の返信だった。
リーシェナは手紙に目を通すと、こうなったら仲間の魔女の家に身を置かせてもらおうと思った。
手紙鳥の痕跡を辿り、旅をする。その途中でいくつかの人間の町にぶつかった。リーシェナは物資を調達するために久しぶりに街中に入ったが、誰もリーシェナが魔女だとは気付いていないようだった。
「………」
ほっと息をつく。この町の様子だと、手紙に書いてあったこともあながち間違いじゃないのかもと思う。
それは、魔女が長い間身を隠していたおかげで魔女を知る人間が少なくなったというものだった。魔女を知らなければ迫害もされない。現に、手紙の送り主も数年前から人間たちの中で暮らしているという。
「……ぁ、っ、う」
フィオリアが連れ去られたあの日から、ちょっとずつ声が出るようになってきた。何度も練習しているがまだまだ上手くいかない。
手紙では声が出なくなった理由は、迫害されたときのトラウマのせいではないかと書かれていた。
馬車を乗り継ぎようやく着いた場所は王都だった。手紙鳥によるとどうやらここに漆黒の魔女ルリシラがいるらしい。
他の魔女に会うのは本当に何百年ぶりだろうか。
リーシェナは勘を頼りに魔女がいそうな場所を探した。するとよく当たる占い師の噂を聞き、リーシェナはそこへ向かう。ルリシラは昔から占いが得意なのだ。
「おやあ、これはリーシェナではないか。よくここまで来れたな」
「………」
リーシェナの目線の先には、路上で占い道具をいじっている美しい黒髪の女性がいた。黒いローブに黒いレースの手袋。黒い大きなイヤリングがキラリと光を反射している。
長くウェーブがかった艶やかな黒髪は腰まであり、その美しい容姿は人間を魅了する。黒いルージュがにいっと釣り上がった。
相変わらず胸が大きいな…。
リーシェナもそれなりに普通にあるのだが、ルリシラのボンキュッボンな身体と比べると貧相に見える。
「相変わらずの無口だなあ。喋ることを面倒くさがるから、いざと言うときに言葉が出ないのだ」
「……ぐっ」
ルリシラは妖艶な見た目に反して言葉遣いが男っぽいところがある。リーシェナは仏頂面で道中書いた手紙をルリシラに手渡した。そこには冬の間だけ居候させて欲しい旨が書いてあった。
「冬の間だけならいい。しかしタダ働きは許さぬ」
リーシェナは素直にうなずいた。ルリシラは占い道具を片付けると家まで案内してくれた。美しい石畳を登っていくと、高台にそびえ立つ大きな屋敷が見える 。レンガ造りのオシャレな屋敷だ。リーシェナはド肝を抜かれた。
なぜこんな立派な屋敷に住んでるのか…。私なんて小屋だったのに。
リーシェナがじとっと半目で訴えると、ルリシラはふんと笑った。
「引きこもって草しかいじってなかったお主と違ってな、ここ数年でかなり金儲けしたのだ」
占いはそんなに儲かるのか…。
リーシェナは自分も占いをやってやろうかと考えたが、喋るのが苦手な自分に向いてるとは思えなかったので却下した。
屋敷の内装もまた豪華だった。巨大なガラスのシャンデリアがいくつもあり、部屋数も10以上あるのだという。
侍女たちがバタバタと動き回り、お茶とお菓子を用意してくれた。リーシェナが侍女のひとりをチラリと見る。普通の人間に見えるが、魔女のリーシェナにはルリシラの使い魔が侍女に化けているのが分かった。
「一体どうして急に手紙を寄越したのか謎だったがな。無口無表情で無愛想なお主にもようやく大切なものが出来たか?」
紅茶を優雅に飲みながらルリシラは訊ねてきた。
「………」
リーシェナはこくんとうなずく。
「男か? どんな男だ?」
「……っ!?」
ニヤニヤと嫌らしい目付きで見下ろしてくるルリシラにリーシェナは口をへの字にした。
「子ど…も」
「ほう? お主、そのなりでもしやと思っていたが…」
「……!?」
リーシェナは10代の幼い姿をしている。これはリーシェナ自身が気に入っているためであって、決して子どもを性的に見ているとかそういう理由ではない。
「冗談だ。で、何があった?」
「………」
リーシェナは魔法文字でフィオリアを拾った日から話し始めた。ルリシラは足を組んでじっと文字を読んでいた。
「なるほどな。魔族の少年か…」
ルリシラは考える素振りを見せた。首を傾げるリーシェナに、ルリシラは話した。
「実はな、王都に住み始めてすぐ魔族の噂を聞いたのだ。なんでも、魔族はいま転換期に来ているらしい」
「……?」
「魔族の王が死んだのだ。そのせいでシュトガレオンの山脈では次の王を決める継承戦が行われているという。そのフィオリアという魔族の少年も、継承戦に巻き込まれたのかもな」
「………」
死王が死んだ?
リーシェナには信じられなかった。魔族も魔女と同じように長く生きる。それこそ、1000年以上も。そして、魔族の王だった死王はこの世界ではかなり有名な王だった。魔族に認められ頂点に君臨するだけでもすごいのだが、死王は亡霊を従わせることが出来たとされている。だからこそ死の王と呼ばれたのだ。
巻き込まれたとしても、なぜフィオリアは山脈から遠く離れた森の中にひとりで居たのだろうか。
「リーシェナよ、その少年はもう二度と戻ってはこないぞ」
はっとリーシェナは顔を上げた。ルリシラが悲しそうな目で見下ろしている。
「……」
リーシェナはこくんとうなずいた。もうフィオリアの笑顔を見ることは出来ないだろう。
けれど…。
魔族が来たあの日、フィオリアの苦痛に満ちた表情が頭から離れなかった。
しかし、リーシェナが魔族に介入することは出来ない。魔族と魔女は似ているがお互い距離を置く相容れない存在だった。特に魔族は人間と仲良くする魔女を嫌悪しているのだ。
夜、ルリシラに宛てがわれた部屋でリーシェナはフィオリアのことを想った。純粋で心優しい天使のような男の子。
リーシェナはどうかフィオリアがこれ以上辛い目に遭いませんようにと祈るしか出来なかった。
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リーシェナが王都に来てから数ヶ月が経った。厳しかった冬も物で溢れている王都ならそれほど辛くはなかった。それに、ルリシラは王都で本当に上手くやっているようで、占い師として確実に地位を上げてくのを見てリーシェナも以前のようにまた人間たちと暮らそうかと考えはじめていた。
「お主、ここで薬問屋をやらないか?」
春の気配が見えたころ、ルリシラから突然そう提案されてリーシェナは驚いた。
「少し前から考えていたのだ。お主は薬毒の魔女だろう。きっとお主の助けが必要な人間がいる。それに、声を完全に取り戻すにはここは最適だと思うが」
「………」
ルリシラはリーシェナと共に暮らす内に彼女の持つ薬草と薬の知識に感心していた。それは同じ魔女でも漆黒の魔女ルリシラにはない知識だった。
リーシェナは春になればまた森の奥に帰ってしまう。薬の知識は人間たちからすれば喉から手が出るほど欲しいものだ。引きこもるには勿体ないとルリシラは思ったのだった。
「お主が良いというなら、私が店を用意してやる。薬草が育てられる温室もな」
温室と聞いた瞬間、リーシェナの目が輝いたのをルリシラは見逃さなかった。ニヤッと笑うと魔法で契約書を出しリーシェナに羽根ペンを持たせる。
リーシェナはざっと契約書を見た。魔女の契約は絶対である。契約書には店と温室をルリシラが用意する代わりに売上の10%をルリシラに献上することと書かれていた。
リーシェナは拍子抜けした。もっと取り立てられるのかと思ったのだ。そんなリーシェナにルリシラはふふっと笑うと、
「私は善良な魔女だ。悪いことも好きだけど、良いことも好きなのだよ」
と言ったのだった。リーシェナは契約書に期限が書いてなかったので日付のところを指さすと、ルリシラはマニキュアで黒く塗られた指でリーシェナの頭を撫で撫でした。
「売上10%はお店の借金を返済するまで、なんて甘いことを私が許すとでも? お主は一生、ここで私に貢ぐのだ」
やっぱり悪じゃないか。ルリシラをじとっと睨むとリーシェナはため息を吐いた。契約書にサラサラとサインする。その瞬間、契約書はぼっと燃え上がり自動的にルリシラの部屋の壁へ額に入れて飾られたのだった。
リーシェナはルリシラに与えられた店で薬問屋を始めた。前もってルリシラから昔のような怪しい陰気な薬屋ではなく花屋のような可愛らしい雰囲気にしろと口出しされたため、リーシェナは渋々おしゃれな内装にしたのだった。
見かけは可愛らしい子どものリーシェナもお人形さんのように仕立てあげられ、使い魔のナノは看板キツネとしてデビューした。
店頭にはキレイな花が飾られている。もちろんそれも薬草だ。窓にはレースのカーテンがかかっており淡い黄色の壁紙に、カラフルな薬棚が並んでいた。はたから見たら薬問屋には見えないくらいかわいくて明るいお店だ。
最初は無口なリーシェナに戸惑う人間が多かったが、リーシェナが少しずつ話す努力をするとだんだんと固定客が付くようになった。
人形のようにかわいいリーシェナや看板キツネのナノを可愛がってくれるお客さんも増え、リーシェナの薬の効果に感動して定期的に大量購入してくれるお客さんも現れた。
お店の売上が上がるにつれてルリシラが不敵な笑いを浮かべるようになったのが気持ち悪かったが、リーシェナは愛しい薬草に囲まれて幸せそのものだった。
「リーシェナちゃんの作る湿布のおかげでこんなに元気になったよ!」
「おすすめしてもらった薬で鼻炎が本当に良くなったんじゃよ。ありがとう」
「リーシェナちゃんこれ! うちに入ってきた珍しいお菓子なんだけど、よかったら食べて食べて」
「ナノちゃああああん! ぎゃわいいいいよおおおっ!」
穏やかなお客さんの中にひとりだけ発狂しているお客さんがいるが、いつものことなのでスルーしている。この女性は毎日夕方になると必ずお店にやってきてナノを撫でくりまわして勝手に癒されているのだ。他のお客さんによるとこの女性はどうやら王都で書類仕事をしている偉い人らしい。
激務でよほどストレスが溜まっているのかな。
ナノは優しいキツネだが、さすがに撫でくりまわされるのは嫌らしく、3日に1回はリーシェナの影に隠れている。魔女の使い魔は主人の影に入る能力があるのだ。ナノはよく移動するときや疲れたときに影に入ったりする。
ある日、リーシェナはその女性が目の下にひどいクマを作っているのに気が付き、見かねて安眠効果のあるお香をすすめた。
「これ…眠りやすく…なる」
「ほんと!?」
するとかなり効果があったらしく次の日に大量に購入していった。女性は涙を流してお礼を言ってくれ、しかも高価そうな羽根ペンまでプレゼントしてくれたのだった。
そんなある日。のんびりと薬問屋を営んでいたリーシェナの元になぜか王都騎士がやってきた。
王都騎士とは、王族に仕える高貴な騎士のことである。
子どもたちが成りたい職業ランキング1位が一体この薬屋になんの用なのだろうか。
リーシェナが不思議そうな顔をしていると、王都騎士が近付いてきて、
「天国のように安らかに眠れるお香があると聞いてきたんだが」
「……?」
と言ってきた。リーシェナは首を傾げた。騎士も首を傾げる。そして先日、女性にすすめた安眠効果のお香のことを思い出したのだった。
リーシェナは合点した。そうだ、確かあの女性は城で働いていたはず。どうやら知人(この騎士)にすすめてくれたらしい。
「これ…。安眠効果、ある」
リーシェナがカウンターにお香を置くと、騎士はまじまじと手に取ってみた。
「これが天国のように安らかに眠れるお香…?」
リーシェナは困った顔をした。効くか効かないかは個人差があるのだ。
「人に…よる」
「なるほど。試しにこいつを2つくれないか」
騎士がお香をカウンターに戻したのでリーシェナは引き出しからもう1つ取り出すと、2つを袋に入れて渡した。
「…15リドル」
「釣りはいらない」
王都騎士はお金を多めに払うとさっさとお店を去っていったのだった。
それから数日後、お店で昼食のサンドイッチを食べているとまた王都騎士がやってきた。前回と同じ騎士である。
お店を一通り見渡したあと、王都騎士はカウンターに近付いて巾着を置いた。その瞬間ジャラっと大量の硬貨の音が店に響く。
「あのお香をあるだけくれ」
リーシェナは食べかけのサンドイッチを置いて立ち上がった。
「………」
お香の入っている引き出しを開けると頑張って作った安眠のお香が100個ほどある。だが、リーシェナはそのうち50個しか出さなかった。
このお香の原料になっている眠り草は成長が遅いため、そんなに頻繁に採れないのだ。それに他にも顧客がいるので全てを売ることは出来なかった。
「375リドル…。でも、370で…いい」
まとめ買いしてくれたのでちょっと安めにした。騎士は巾着を逆さまにしてカウンターに金貨を広げると、
「これでいいか」
とお金を渡してきた。数えると少し多かったので返してやると王都騎士は驚いた顔をした。
「いいのか?」
「……?」
「普通は余分に払うと喜ぶんだがな。まあいい」
もらってもルリシラが儲かるだけだからとリーシェナは思う。それに金儲けのために店を開いているわけではないのだ。
お香が50個入った大きめの紙袋を渡すとき、リーシェナはじーっと騎士の顔を見つめた。整った男らしい野性味のある顔つきである。いかにも生真面目な性格が滲み出ており年は恐らく30代前半だろう。あの女性に比べると目の下にクマもなく、肌もつやつやで健康そのものだ。
この人は眠れてる人だ。ではなぜこんなにも大量に必要なのか。
リーシェナに疑いのある目で見上げられて騎士はなにかを察したのか困った顔をした。
「あー…。これは私が使うのではない。私の上司が使うんだ。誤解しないでくれ」
「…そう」
リーシェナはそれを聞いて素直にうなずく。
「…ここは他にも色んな薬を売っているんだな」
気まずくなったのか、騎士は店を見渡して訊ねてきた。リーシェナはコクンとまたうなずいた。
「……その、女の子にこんなことを聞くのは間違っているとは思うが…」
「……?」
急に挙動不審になった騎士にリーシェナは怪げんな目を向ける。
「その、私の部下が性病になったらしいんだ。性病に効く薬はないだろうか」
「……ある」
リーシェナはなんだそんなことか、と思うと後ろの戸棚から小さな小瓶を取り出した。コトンとカウンターに置いた小瓶には、緑色の透明な液体が入っている。
「症状にも、よる。…けど、大抵は…これで、いい」
「いくらだろうか」
「…1000リドル」
お金持ちなのか、部下想いなのか。王都騎士は表情を崩さずにポンッとお金を払うと店を去っていったのだった。
王都騎士は部下の性病の面倒も見るのかとリーシェナは驚いたが、後日その薬が大量注文されたため道行く王都騎士を見る目が変わったのだった。