第八話 リバーク神殿副長
あれから1か月の月日が経った。
王はリデアスが願った通り今までのように空気のように扱ったが、リデアスと会えばなぜか無言で目を合わせる機会が増えた。そして王はリデアスとの約束を守り、オフィシナリス妃の元へ仕事の合間を縫って頻繁に通うようになった。そのことにオフィシナリス妃は花が咲いたように喜び、体調も少しずつ良くなっていったのだった。オフィシナリス妃は特に、その相瀬で王アガレスがたまにリデアスのことを認める発言をするようになったことが一番嬉しいらしく、そのおかげで精神的な葛藤や不安が和らいだようだった。
リデアスはオフィシナリス妃が回復してきたことが本当に嬉しかったのだが、たまに王と目が合うとなにか言いたげに目を眇めてくるのが気になった。あの日から―少なくとも―公の場では王アガレスの態度にはなにも変化は見られない。しかし、王の心境がどう変化したのかリデアスにも分からなかった。
そんなある日、神獣の話を聞きつけた聖職者たちが城へ訪問してきた。神に仕える聖職者でさえ神獣を見ることはめったにないため、話を詳しく聞きに来たのだ。王アガレスは王の間にリデアスとクラウディオを呼んだ。 王の間に並んで立つ聖職者は3人おり、その中には前にジーク神の伝説を話してくれた聖職者ディエヌもいた。聖職者たちが美しい所作でふたりの王子に礼をし、 王に紹介されるとふたりもそれぞれ名前を名乗った。
「私たちは神殿長の命を受け、神獣のことを調査しにきました。王子たちはその場にいらっしゃったとのこと、ぜひお話をお聞かせ願えませんか?」
「は、はい」
クラウディオは緊張した様子だったが目をキラキラさせている。それを見てリデアスはもしかするとクラウディオは聖職者に会うのは初めてなのではないかと思った。
リデアスたちは王の間の隣にある豪華な応接間に移動した。腕利きの職人に造らせたガラスの長テーブルと赤いフカフカのソファにそれぞれ対面して座る。王アガレスが真ん中に座ると、相手も一番位の高そうな聖職者が真ん中に座った。白い髭を蓄えた老齢の聖職者で、常ににこにこと笑っている。確か紹介された際にリバーク神殿副長だと名乗っていた。
侍女が長テーブルに紅茶とお菓子を置くと、王アガレスに促されて最初にクラウディオが話し始めた。神獣の特徴を説明し、クラウディオが描いた神獣の絵を実際に見せると、聖職者たちは身を乗り出して食い入るようにそれを見た。
絵には翼を大きく広げ前足を上げている雄々しくも神々しい神獣が見事に描かれていたのだった。リデアスはひどく感心した。まだ8歳なのにクラウディオの描く絵は迫力があり、非常に細かいところまで忠実に描かれていたからだ。
絵の才能に関しては王の子どもたちの中で一番群を抜いているだろう。そんな天才クラウディオが描いた神獣の絵は聖職者たちの心を鷲掴みにした。聖職者たちに褒め称えられてクラウディオはとても嬉しそうだった。
「願えるならば、その絵を貸してはいただけないでしょうか。ぜひ神殿長やほかの者たちにも見せたいのです」
「え?」
クラウディオはひどく驚いた。まさか自分の絵を神殿長という非常に偉い人物に見てもらえるなど思わなかったのだ。だが王アガレスがそれを拒否した。
「それならば、これよりももっと大きなキャンパスに額縁を付けて、より立派な絵を送ろう。私の知り合いに若くて腕のいい画家がいる。クラウディオの描いた絵を参考に描かせよう」
「父様・・・」
それではあまりにもクラウディオが可哀想だとリデアスが口を出そうとすると、途端に王アガレスが鋭い視線を向けてきたため口を閉じざるを得なかった。その気迫に、クラウディオもなにも言えなくなる。少ししょんぼりしているクラウディオを横目に、聖職者たちも遠慮がちに声を出した。だが、絵が欲しいと言い出した側の聖職者たちはあまり口を出せない。
「色々な事情もあるでしょうから王がそれで良いのであれば、私たちはなにも言いません。神殿長も神獣の絵を頂けると知ったらとてもお喜びになられるでしょう」
「では話はここまでだ。城の入口までご案内しよう」
さっさと話しを終わらせようとした王アガレスだったが、それまでにこにこしていた神殿副長がそれを止めた。
「少しお待ちくだされ。そちらの王子もその場にいらっしゃったとのこと。是非ともその美しい王子からもお話を聞きたい」
神殿副長の穏やかな目はリデアスに注がれていた。その瞬間、王アガレスの顔が不機嫌そうに歪められる。今にも舌打ちしそうな雰囲気に他の聖職者たちは驚いたが、神殿副長は穏やかにそして好奇心の色を浮かべてリデアスを見つめていた。
「失礼だが、クラウディオと全く同じ話になるかと」
「人が変われば見方も変わる。それに、リデアス王子の感想も聞きたいのです」
面倒なことになったと王アガレスは思った。クラウディオにはリデアスがしたことは絶対に言うなと釘を刺していたため、神獣の姿の話だけで終わったがリデアスにはそのことは言っていなかった。なぜなら、最初からリデアスに話をさせるつもりなど全くなかったからだ。
リデアスは神であるため嘘を付くことはできない。穏やかに一通りのことを話した。だが、天界の言葉で神獣に語りかけたことや、神々が神獣を呼ぶときに鳴らす指笛のことは詳しく話さなかった。しかし、それに補足するように幼いクラウディオは話してはいけないことまでペラペラと興奮して話してしまったのだった。
「なんと! リデアス王子が神獣を手懐けたと・・・!?」
「いや、手懐けてなどいない。勝手に神獣のほうから寄ってきたのだ」
王はなんとか誤魔化そうと口をはさむが、神殿副長は首を横に振った。
「神獣はめったに人間に近付いたりしません。だからこそ、今回はとても奇妙な出来事なのです。リデアス王子、よろしければその指笛を披露していただけませんかな」
「ここでですか?」
「はい」
リデアスがちらりと王アガレスを見ると、王はむすっとした顔で渋々うなずいた。リデアスは人差し指を曲げて唇に挟んで息を吹いた。
「ピィー!」
澄んだ音が応接間に響き渡る。空気を切り裂いて遠くどこまでも届く音だった。聖職者たちは目を閉じて、音に耳を傾けている。
「なるほど、この音色に引き寄せられて神獣はあなたの元へやってきたのですね。私の知る指笛の鳴らし方と少し違いますな」
この国で一般的な指笛のやり方は人差し指と中指をそろえて鳴らすやり方である。リデアスは聖職者たちにやり方とコツを教えた。クラウディオもこっそりマネしてフーフー吹いてみたが王アガレスに睨まれてさっと手を後ろに隠した。
「うーん、なかなか上手く音が出せませんな」
結局、誰も音を出すことは出来なかった。かと言って音が出るようになっても神獣は来ないだろう、とリデアスは思う。
「しかし、クラウディオ王子の言うことが本当であるなら、リデアス王子は不思議な力をお持ちなのではと思えてなりません」
「ええ、我々のように神様の加護を賜っているのではないでしょうか」
リデアスは冷静に聖職者たちを見た。確かに、神々の加護を宿している聖職者には神獣はすこし違った態度を見せるかもしれない。だが、神獣はめったに現れないためそれを検証することは出来ないだろうとリデアスは思う。
「僕は畏れ多くも、どの神々の加護も賜っておりません」
「ではなぜ・・・」
「たまたま偶然だろう。そもそも、神獣についても詳しいことはよく分かっていないのだ。これ以上、ここで議論していても、神々でもない限り本当のところは分からないだろう」
「・・・それはそうですね。では我々はこれで失礼しましょう。またなにか分かり次第、神殿までご連絡いただけますように」
「ああ」
まだどこか納得していない様子だったが、聖職者たちは大人しく帰っていったのだった。応接間に残った王子たちは王アガレスを恐る恐る見上げる。だが意外にも怒っていない様子だったのでクラウディオはほっとした。
「3人にしてくれ」
だがその王アガレスの一言で王子たちは「あ、やっぱり怒ってるんだ」と察した。応接間にいた侍女たちがささっと出ていく。
「はー・・・。ちょっと整理させてくれ」
王アガレスは疲れたように片手で目を覆った。
「リデアスが話すことになったのは俺の落ち度だ。まさか神殿副長がしゃしゃり出てくるとは思わなかった」
「いえ・・・」
「問題はクラウディオ、お前だ。話すなと言ったことをペラペラとしゃべりおって」
王にギロリと睨まれてクラウディオはしゅんと身体を縮めた。長い溜息が応接間に響き渡る。
「・・・神殿副長がリデアスに興味を持ってしまったかも知れん。もしリデアスに聖職者の素質があると思われれば、神殿に連れて行かれるかも知れない」
クラウディオはぎょっとした。リデアスは聖職者たちから王アガレスが守ろうとしてくれたのだと知ってちょっと驚く。
「兄様、ごめんなさい、僕・・・」
クラウディオがひどくショックを受け落ち込んでしまったのでリデアスは隣に移動して頭を撫でた。
「大丈夫だよ」
僕はどこへも行かないよ、と言いそうになってリデアスはぐっとこらえた。大人になる前に死ぬ予定なのだから、それを言ってはクラウディオに嘘をついてしまう。
「父様」
リデアスはクラウディオを慰めながら王アガレスに声をかけた。
「なんだ」
「クラウディオに神獣の絵を描かせないのはなぜですか」
「・・・クラウディオは食べることに困らないからだ。王都にいる若手の画家は明日の飯も食えないほど貧乏なのだ」
「なるほど。だからお仕事をあげるのですね。ならこうしてはどうでしょうか。クラウディオと画家の両方に絵を描かせて、父様が気に入ったほうを神殿に送るのです」
王アガレスは思わず耳を疑った。
「なんだそれは。もう片方の絵はどうするのだ」
「僕は父様と趣味趣向が正反対なので、父様が気に入らなかったほうを僕は気に入るでしょう。そうしたら僕の部屋に飾ろうと思います」
「・・・・・」
「兄様・・・!」
王アガレスはひどく呆れた顔をした。目を瞬かせているクラウディオに、リデアスは優しく微笑みかける。いつも表情を表に出さない兄が笑っているのを見てクラウディオは目を見開いた。
「全く・・・。分かった。クラウディオ、神獣の絵を描けるな?」
「はい!!」
太陽のようにキラキラと顔を輝かせたクラウディオをリデアスは嬉しそうに見つめる。そんなリデアスを王アガレスは何とも言えない表情で見たのだった。
つづく