『イエローリーフの暗殺者』
※アルカナのイメージ画
〈アルカナ/クレア〉
実の両親を知らない。
赤ん坊のころ叔母に引き取られたが、奴隷や召使のような扱いを受けていた。
幼いながらに体幹がしっかりしており、運動神経もよく、なにより五感が鋭い子だった。
道に迷ったことがないため、どんなに知らない場所に放り出されても自力で家にたどり着く帰省本能があった。
身体の使い方が上手かったため、天賦の才能を感じた暗殺者ロベルトはクレアを10万レイドで買い取り、暗殺者として育てた。
ロベルトはクレアのほかにも見込みのある子どもを買い取っては厳しく鍛えており、クレアは彼の4番目の子どもであった。
容姿はどこにでもいるような、普通の女の子である。特徴がないため、人ごみに紛れやすく、いとも簡単に姿を消すことができる。
素材は悪くないので化粧次第では化ける。
性格は穏やかで大人しい。生い立ちのせいで感情が顔に出にくいが、暗殺者として生きていく分には逆にそれが役に立った。
ロベルトに引き取られてからは名前を捨て、新たに“アルカナ”という名前を与えられた。外の言葉(外国語)で「神秘・秘密」の意。
暗殺者ロベルトは自分の家を『イエローリーフ(枯草)』と呼んだ。枯れた黄色い葉っぱは、そこで育った子どもたちのシンボルになり、殺される側にとっては新たな死の隠語となった。
〈髪の毛と魔力〉
魔力の保有量は髪の長さに比例する。
長ければ長いほど大量の魔力を持ち、逆に魔力が全くなければ髪は生えてこない。
魔力量は成長期にすこし増えるが、あとは鍛えるしかない。鍛えても髪が伸びない場合もある。
また、髪の色は父親に依存する。母親の髪の色は子どもへは絶対に引き継がれない。しかし、例外も存在する。
〈暗殺者ロベルト〉
20代後半。幼いころから暗殺を生業としている。親のいない子どもを暗殺者に育てようと思ったのは、金儲けのためだった。
暗殺をビジネスにしようと思いついたのは、ひょんなことから。子どもを暗殺者に育てて現場に送り込み、立派な組織を作り上げ、自分がその頭になれば子どもの稼ぎすべてを自分のものにできると考えた。
子どもを一から育てることは労力も時間もかかるが、メリットは大きかった。
親のいない子どもは頼る場所がないため、育ての親の言いなりになりやすいこと。そしてなにより、この世界の孤児は基本的に戸籍がなく、死んだとしても元々記録に存在しないため使い勝手がよかったのだ。
〈ストーリー/あらすじ〉
暗殺者ロベルトに引き取られたクレアは名前をアルカナに変え、暗殺者となるべく厳しい修行に明け暮れていた。成績は優秀で、イエローリーフの中では唯一の女の子であるにもかかわらず、ほかの男の子たちに負けない才能を見せていた。
アルカナは体術を得意とし、すばやい身のこなしと身軽さはイエローリーフで特に抜きん出て素晴らしかった。
人を殺すことを覚え、現場に出たのはアルカナが9歳のときだった。
子どもはどこにでも潜り込め、また子どもなら暗殺者だと疑われないこともありイエローリーフの子どもたちは確実に仕事をこなしていった。
アルカナが10歳になるころ、4人いた子どもが5人になった。やってきたのは黒髪の、みすぼらしい男の子であった。満足に食事をもらえてなかったのか、ひどく痩せており、ぼさぼさの髪は長年洗っていないことを物語っていた。
ロベルトに身体を洗わせろと指示されたアルカナは、隠れ家の近くにある小川に連れて行った。男の子の服を脱がせると、浮き出たあばらと紫色のあざが痛々しかった。どうやらひどい扱いを受けてきたらしいと、アルカナは思う。
冷たい小川では洗いづらそうだったので、アルカナも手伝ってやるといくらかキレイになった。前髪からのぞく深い青の瞳に、かすかな光がともった気がした。
ロベルトはがさつな男だが、気のいい男でもあった。子どもたちへいつもたっぷりの食事を与えてくれたし、必要なら服もそろえてくれた。美味しい食事と服をもらった男の子は、イエローリーフの子どもたちから離れた場所にいくとまるで奪われないようにガツガツ急いで飲み込んだ。
アルカナが隣に座ると男の子は背中を向けた。しかし、ほかの子どもが近づこうとするととたんに歯をむき出しにし、部屋の隅へ移動したのだった。
食事のあと、ロベルトは男の子に、「セジル」と名前を付けた。アルカナは世話係に任命され、しばらくの間はセジルとともに行動することになったのだった。
イエローリーフの子どもたちはみな新しい名前をもらうが、元々の名前は本人しか知らなかった。セジルの元々の名前をアルカナは知ろうとは思わなかったし、セジルも言おうとはしなかった。
セジルは非常に攻撃的な性格をした男の子だった。嫌なことはアルカナにもロベルトにも歯向かい、決してしようとはしなかった。だが頭は良いらしく、とっさの状況判断と理解力は群を抜いていた。
暗殺は、上手くいくことが少ない仕事である。時には数日待つこともあるし、または一瞬の隙を付いて殺すとっさの判断力も必要だ。
「引くときべきは引き、やるべきときはやる」
これがイエローリーフの家訓だった。セジルはその状況判断能力がずば抜けて良かった。
アルカナが世話をするうち、セジルはただ攻撃的なのではなく本当はとてもやさしい男の子なのだと気付いた。攻撃的な性格といっても歯を出して威嚇するだけで、手は一切出さないのだ。
アルカナが人殺しのやり方を教えたときも、セジルは「本当にやるのか?」と半ば信じられないような目を向けて来た。だってやらないとロベルトに殴られるもん、とアルカナが言うとセジルは「俺は殴られるのは怖くない。俺はぜってーやらない」と歯向かった。
イエローリーフの子どもたちは、育て親であるロベルトの言いつけを守ることが当たり前で、人を殺すことも受け入れていた。そこに疑問を挟む余地はない。言われたことをやらないと痛い目を見るだけだからだ。
だからこそアルカナは不思議だった。セジルがいちいち嫌だ嫌だとだだを捏ね、ロベルトからひどい目に合っているのが。
人殺しを拒否したセジルはロベルトからぼこぼこに殴られ、豚小屋に入れられた。
夜中、アルカナが豚小屋へ行くと、セジルはひどい畜生の臭いがする土にまみれながら豚に寄りかかっていた。豚小屋のランプの明かりを灯すと浮かび上がったあざだらけの顔が痛々しい。
「なんだよ」
セジルが噛みつくように言葉を吐く。しゃべると切れた口元が痛むらしく、顔をしかめた。アルカナは豚小屋の柱にもたれて、ぽつりとつぶやいた。
「ねえ、どうして言いつけを守らないの?」
「・・・?」
「言われたことを素直にやれば、こんなひどいことをされずに済むのに」
セジルはなにも返さなかった。アルカナが帰ろうとすると、セジルはやっと口を開いた。
「俺は自分が納得できないことはぜってーやらねえ。でも、お前がそれで困るなら、考えてやる」
アルカナはきょとんとした。セジルはアルカナの頬をじっと見ている。実は、セジルが言うことを全く聞かないせいで世話係のアルカナも連帯責任で殴られたのだ。
その日から、セジルは驚くほど聞き分けのいい子になった。ほかの男の子たちが気味悪いと顔を引きつらせるくらいに。
あれほど嫌がっていた人殺しのやり方も素直に学び、アルカナとともに暗殺に向かう。日々の訓練も積極的に参加するようになった。すると、セジルはメキメキと実力をつけ始め、数か月後にはアルカナと体術で互角になるまで上り詰めたのだった。
元々、状況判断能力がずば抜けていたところに実力が加わったのだ。次々に人を殺し、イエローリーフの中でセジルの存在は無視できないまでになっていた。
セジルがやってきて1年が経とうとしていた。いつの間にかセジルの攻撃的な性格もなりをひそめ、冷静で落ち着いた少年になっていた。与えられた仕事を黙ってこなし、かつ暗殺成功率も高かったためロベルトのお気に入りになった。
ぼさぼさだった黒髪も艶やかさを取り戻し、成長期にともなって背中まで伸びていた。それは、魔力量が増えたことも意味している。
☆★☆
そんなある日、異変は突然起こった。それは真冬のとても寒い日だった。アルカナは11歳に、セジルは12歳になっていた。
温かい日差しが出ていた昼下がり、雪の上でアルカナは暗殺術の練習をしていた。それをすぐ側で見ている男の子がひとりいた。同じイエローリーフで暮らす、レウィンという男の子だ。
レウィンはいつも怒ったような顔で腕を組んでいる。からし色の短い髪の毛と、緑の瞳をしており、年齢はアルカナと同じ11歳だ。
アルカナが訓練していると、たまにやってきては「動きがぎこちない」とか「そんなんで殺せるもんか」と難癖をつけてくるのだ。根が真面目で人に厳しいが、レウィンは自分にも妥協はしない。だからアルカナは、レウィンが訓練に付き合ってくれるときはレウィンの意見を参考にしていた。
「お前、まだあいつの世話係なんかやってるのか」
一通り訓練が終わり、アルカナが休憩しているとレウィンが隣にやってきた。レウィンが“あいつ”というのは一人だけだ。
「もうほとんどしてないよ。ロベルトがもう世話するなって言ったの?」
「いや・・・」
珍しくレウィンの歯切れが悪い。なぜか苦々しそうに顔をしかめてるのを見て、アルカナはくすっと笑った。
「レウィンはいまも私の世話を見てくれるよね」
実は、アルカナがイエローリーフにやってきた当初、世話係を務めてくれたのはレウィンだった。いまは世話係ではないが、そのときの名残でたまにこうして指導してくれるのだ。
「・・・お前さ、もっと感情を出したほうがいいよ」
腕を組んだまま、レウィンがアルカナを見つめてきた。
「なんで?」
「その・・・いやなんでもない」
レウィンはぶっきらぼうに言うと、急に後ろを振り返った。アルカナも振り返ると、そこには虫を噛みつぶしたような表情のロベルトと、暗い顔をしたセジルが帰ってきたところだった。
「どうしたんですか」
普通ではない二人の様子にレウィンが駆け寄った。後からアルカナも付いていく。ロベルトが悔しそうな顔で「ドウンが殺された」と押し殺すように言ったのだった。
一瞬で戦慄が走った。レウィンの表情も一気にこわばったのが分かる。後ろのセジルも悔しそうに唇を噛み俯いた。ドウンとは、イエローリーフの子どものひとり。紺色の髪の少年で、明るいお調子者だった。
「ネアがいま蛇を追ってる」
それを聞いてアルカナはさらに緊張した。蛇とは、暗殺のターゲットのこと。つまり、状況は最悪だった。ドウンが殺しそこなり、返り討ちにあった。ドウンと共に行動していたネアが逃げた蛇を追っているが、まだ殺せていない。
このまま蛇に逃げられれば、ネアもただでは済まされない。かといって深追いすればドウンの二の舞になる。
アルカナはネアの顔を思い浮かべた。短い暖かな赤色の髪をした、優しい男の子。イエローリーフの中で、足の速さはネアが一番だった。ネアならきっと、危険な状況になったとき素早く逃げ切れるはずだ。
だからこそ、ロベルトは下手に追わず、ネア一人に任せたのだろう。
「くそっ! ドウン・・・」
きつく眉を寄せたロベルトが、アルカナにも聞こえるくらい歯をギリッときしませた。よほど返り討ちされたのが悔しかったに違いない。アルカナも悔しかった。ドウンを殺した人間を追いかけたかった。ロベルトが許せば、復讐も厭わないと心に思う。
「ネアを追いますか」
レウィンが冷静に訊ねる。だが、それまで黙っていたセジルが暗い表情で首を振った。
「ダメだ。これがもしワナだったら、共倒れになる」
ワナの可能性にアルカナの身体が凍りついた。
「だったら尚更・・・!!」
掴みかかる勢いでレウィンが前に出るが、ロベルトが制した。
「セジルの言う通り、ワナの可能性がある。ネアを信じて待とう。だが、深夜0時までにネアが帰宅しなければ、ネアを捨てていく」
レウィンは腕をだらんと下ろした。アルカナはロベルトを見上げる。いつもの自信満々な表情が、生気を失った顔になっていた。
夜、辺りが真っ暗になると雪が降ってきた。冷たい風と雪に、アルカナはネアを心配した。
「ネア・・・」
窓の外を眺めながら、アルカナはつぶやく。ネアが危険な状況にあるのは間違いなかった。引き際を見誤れば、それは死につながる。もし、イエローリーフの噂を聞いた人間が、わざと子どもたちを誘い込もうとしているのなら、ネアは確実に囚われて拷問にかけられるだろう。そして、耐えきれなくなったネアはイエローリーフの場所を敵にバラすに違いない。
そうなればここは安全な隠れ家ではなくなる。だがすぐに移動しないのは、ロベルトが最後までネアを信じているからだとアルカナは思う。
アルカナも信じたかった。ネアならきっと蛇を殺すか、逃げ切れると。
だがネアは時間になっても帰ってこなかった。
みな暗い表情で、冬の道を歩く。イエローリーフを振り返ると、枯草で覆われた小さな家は、ガランとした不気味な雰囲気を醸し出していた。
2年暮らした、思い入れのある家にはもう二度と帰れないとアルカナは分かっていた。それはレウィンも、セジルも同じだった。
5人いた子どもが3人になってしまった。
翌日からロベルトは人のいない路地裏を避けるようになり、子どもたちへ黒く目立たないローブを与えた。ロベルトも灰色のローブを身にまとい、なるべく目立たない格好で街中を歩いた。
早朝の人があふれる時間帯になると、人ごみの合間を縫うように移動した。ロベルトの姿を見失わないように、そして目立たないように気配を殺しながら街を抜ける。
ロベルトがどこへ向かっているのか分からなかったが、3人は付いていくしかなかった。これまでも、ロベルトの言う通りにしていれば生き残ってこれたのだ。だが、終始黙ったままのロベルトは、焦る気持ちを隠せずにいた。
子どもは大人の表情をよく見ている。アルカナたちはすぐにロベルトがもう当てもなく逃げるしか選択肢がないことを悟った。そして、街中ですれ違う騎士の数が普段より多いことにも気づいていた。
暗殺稼業は必要悪だが、立派な犯罪行為である。捕まれば、恐らくロベルトは死罪。アルカナたちも最悪殺されるだろう。
「くそっ・・・くそっ!」
ロベルトが何度も罵倒をつぶやいている。アルカナは後ろを気にしてセジルとレウィンの裾を軽くつまんだ。
追手がきていることを知らせる合図だ。
後ろを見ることはできないため、誰が追ってきているのかは分からなかったが、この際、誰でもよかった。もう星は付けられたのだ。セジルとレウィンが悔しそうに唇を噛むのが分かった。
すると、前方が急に騒がしくなった。悲鳴と非難の声が街に響く。急にロベルトが立ち止まったので、アルカナは鼻をぶつけるかと思った。
「ベルナルディだな。貴様を現行犯逮捕する」
前方からおじさんの声がした瞬間、紫の半透明の膜がロベルトを覆った。
魔法だ。アルカナは思わず後ずさる。ロベルトは逃げられないよう魔法をかけられ苦しそうにうめいた。
群衆が円を描くように分かれた。動けないロベルトと、その傍にいる3人の子どもが大衆にさらされる。
とっさにセジルがレウィンとアルカナのフードを掴んでかぶせてくる。顔を覚えられないようにするためだ。フードを深めに被ったが、ロベルトが魔法で宙に浮くのを見てあっけにとられた。
「貴様はとくに重罪だ。皆の者みよ。これが大罪人の末路である」
「ロベルト!」
嫌な予感がして思わずアルカナが叫んだ。とたん、城の騎士からどよめきが起こる。野次馬の群衆たちからもヒソヒソと声が聞こえて来た。一番前に立つ、いかにも厳格な雰囲気の男性が片手を挙げて制止した。
「・・・女の子か。いくつだ」
暗殺集団に女の子がいることがよっぽどショックだったようだ。アルカナは答えたくなかったが、セジルがつついてきたため渋々「11歳」と答えた。
さらに大きなどよめきが起こった。隣に立つレウィンが異様に緊張しているのが伝わってくる。セジルを横目でみると、彼は冷静に相手を観察していた。
先ほどのセジルの判断は正しかった。人情がまだ残るこの世界では、時として罪より情けが通ることがある。アルカナが答えていなければ、かわいくない子どもだと判断されロベルトと共に死刑になってもおかしくなかった。
逆にかわいそうな子どもだと判断されれば、殺されずに見逃される。セジルは大人のそういう部分を見抜いていた。
若い騎士たちが歩み寄ってきた。ロベルトは魔術師らしき人物と共に魔法転移したため、もうここにはいなかった。ロベルトがどこへ連れていかれたのかは想像したくなかった。
「付いていこう」
セジルの言葉でアルカナとレウィンは、素直に騎士の指示に従った。暴れてもロベルトの二の舞になるだけだからだ。
騎士に連れてこられたのは、街に点在する騎士の駐在所だった。小さな待合室で椅子に座らされた3人は、黙ったままで質問にはなにも答えなかった。
業を煮やした若い騎士たちはほとほと困った顔をした。すると、高い靴の音を響かせて中年の騎士が入ってきた。若い騎士たちがそろって立ち上がると、ビシッと敬礼の構えをする。それに敬礼を返した中年の騎士は、アルカナたちの前にある椅子にドカッと座ると、じっくり顔を見つめて来た。
「私の名前はバックスター中将だ。君たちの名前は?」
セジルとレウィンが一気に緊張するのが分かった。アルカナも悟る。この人間が自分たちの運命をいとも簡単に決めてしまえるのだと。
「セジル」
初めてセジルが口を開いた。バックスターはうなずくと、レウィンの顔をみた。
「レウィンです」
次にアルカナを見つめてくる。バックスターは顔のシワを寄せて、少しだけ辛そうな顔をした気がした。
「アルカナ」
少しの間、シンとした空気が漂った。
「君たちの本当の名前は?」
まさかそう聞いてくるとは思わず、アルカナたちは驚いた。とっさに身体を強張らせるのを見て、バックスターは微笑む。
「大丈夫、君たちの親族にはなにもしないと約束しよう。むしろ、私たちは君たちを助けたいんだ。親もとへ帰りたいと思わないかい?」
「思わないね」
セジルが噛みつくように言った。アルカナが横目で見ると、出会ったころのセジルを思い起こさせるような攻撃的な表情を浮かべていた。
「俺たちには、親なんかいない。買われたんだ」
「そうか。寂しかったろう、つらかったろう。今まで助けてやれなくてすまなかった」
セジルに優しく、諭すように語り掛ける大人をアルカナは信じられない目で見た。ましてや謝るだなんて。ロベルトなら、殴っているに違いない。
「君たちが望むなら、私が君たちの親になろう」
さらにアルカナはぎょっとした。バックスターは自宅を開放して、3人を養子に迎え入れようという。大罪人に利用されたかわいそうな子どもたちだと判断された瞬間だった。
それから数か月後。バックスター中将は権限でアルカナたち3人を養子にしようとしたが、王族から反対の声があり、3人をいっぺんに養子にすることはできなかった。
その代わり、バックスターが責任をもって里親になる人間を見つけ出してくれることになった。
バックスターの元へ養子に行ったのはレウィンだった。アルカナとセジルは、里親が見つかるまでバックスターの別荘で暮らしている。
元々、レウィンはどこか上品な顔立ちをしていたため、貴族の仲間入りしても浮くことはないだろうとアルカナは思う。
メイドや執事がせわしなく行きかう、豪華な別荘での生活は最下層で生きて来た3人にとって非常に居心地が悪いものだった。出てくる食事はどれも素晴らしいし、ベッドは上質でいくらでも眠っていられる。メイドたちもかわいそうな子どもたちと哀れんだ目を向けて、かいがいしく世話してくれたが、世話されることに全く慣れていない3人は逆に放っておいてほしかった。
バックスターは忙しい人らしく、別荘に顔を出すのは3日に1度くらいだった。レウィンは正式に養子になるのだから別荘で暮らす必要はなかったが、バックスターの優しい心遣いで別荘にいることを許されていた。
アルカナは最初、別荘に併設されていた大きな大浴場を見たときはぎょっとした。身体を洗う=小川という環境から大理石でできた高級な大浴場に変わり、温かいお湯を自由に使えることが信じられなくて戸惑うしかなかった。
メイドから女の子らしい服を着せられ、身綺麗になったアルカナは見違えるようにかわいくなった。はじめ、男の子たちがぎょっとのけぞったくらいだ。
小汚い小娘が、普通の町娘になった気持ちだった。
鏡をまじまじと見て思う。このまま里親にもらわれれば、普通の女の子として生きていける。闇の世界に生きていたときは、眩しすぎて自分がそうなれるとはとても思えなかった。それくらい、アルカナは血でまみれていたからだ。
だが、普通の女の子として生きていけるかもしれない。そう思うと、アルカナは不思議な気持ちになった。
それをレウィンに話すと、レウィンも薄汚い小僧から貴族の養子になったことに戸惑っていると話してくれた。人を殺さない生活を、想像することができないと。
「なあ、ネアとドウンを殺したやつが誰なのか、気にならないか」
いきなり問われてアルカナは目を瞬いた。
「蛇側の人間でしょ? 城の騎士に通報したんじゃないの」
「なんか違和感ないか? 俺たちが殺してたのは国の反乱分子だ。そんなやつらが城の騎士に助けを求めるのか」
「・・・・」
実はアルカナもそれには引っかかりを覚えていた。では、誰が主犯格なのか。
「ロベルトは俺たちを使って暗殺ビジネスをしてた。実際にかなり儲かってたよ。ロベルトを目の敵にするやつは? そんなの、同業者に決まってるだろ」
レウィンが考えてることはこうだった。
ロベルトの暗殺ビジネスを気にくわない主犯格が、ターゲットになるであろう人物に接近し、いざという時は助けてやると約束をする。そして殺しにきたドウンたちをワナにはめる。
「逆に反乱軍がワナにハメた可能性は?」
アルカナが問う。レウィンは腕を組みながら首を振った。
「ジダルは俺たちの後ろになにがいたか分かってるはずだ。っていうか、あいつら反乱軍をまとめることも出来てないのに、暗殺者をワナにハメるなんて余裕ないだろ」
まあ確かに、とアルカナは思う。ジダルとは反乱軍のリーダーである。この国には不満がくすぶっている。王族のやり方が気に入らない連中が、反乱を起こそうとしているのだ。
イエローリーフは、クライアントの依頼で危険な反乱分子を排除していた。その一環として、反乱軍の動向を監視し、牽制する役目も担っていた。反乱軍の内情をアルカナたちがある程度知っているのはそのせいだ。
「レウィンは、私たちのクライアントが誰だったのか知ってるの?」
誰がイエローリーフに暗殺を依頼してるのかは、ロベルトしか知らない極秘情報だったはず。なのにレウィンは誰かを知っている口ぶりだった。
「考えてみろ。反乱軍を排除したがるやつなんて、そんなの決まってるだろ」
アルカナはちょっと考えると、ぽつりとつぶやいた。
「城側の人間・・・」
だが、レウィンでもクライアントが誰なのかはハッキリ分からないという。
アルカナはネアとドウンを殺した人物が誰なのか知りたくてたまらなかった。
ふと、セジルがいつの間にかいなくなっていることに気付く。一体どこへ行ったのか分からなかったが、そこまで心配はしなかった。イエローリーフにいたときから、セジルはよくいなくなっていたからだ。
そんなことより、一体どうすれば自分たちをワナにハメた人物を見つけ出せるのだろうか。考えながらフラフラ歩いていると、いつの間にかイエローリーフに来ていた。自分たちが捨てた枯草の家は廃墟のようにシンとしている。
足を踏み入れると、家の中まで枯草が入り込んでおり、くしゃりと乾いた葉を踏みしめる音が響いた。家具がひっくり返り、あちこち荒らされていた。小さな暖炉には、証拠隠滅するためにロベルトが燃やした書類の跡がある。
ぼんやり歩き回っていると、ふとロベルトがかつて大切なものを保管していた秘密の場所のことを思い出した。それは隠れ家の裏の、ツヅの木の下にある。ロベルトは生前、この場所を誰にも明かさなかったのでおそらくセジルもレウィンも知らないはず。
アルカナは隠れ家から出ると裏に回り、小さな手を使って土を掘り返した。アルカナがそれを知ったのは偶然だった。
ある日、ロベルトがツヅの木の下で泣いているのを見てしまったことがあった。ロベルトが泣いていたのはほんの数分だったが、そのとき、ロベルトがツヅの木の下に小さな箱を埋めるのをアルカナは見ていたのだ。
アルカナは中身を見ることに罪悪感を覚えながらその箱を掘り起こした。土から出て来たそれは思っていたより小さな箱だった。木造りの簡素な箱で、飾りも模様も一切ない。開けてみると、美しい魔法石と古い鍵が入っていた。
「なにこれ?」
魔法石は淡く青色に輝いている。アルカナの手のひらに乗る大きさだった。もうひとつの鍵は金属性で、ずっしりと重く、ところどころ錆付いている。アルカナは魔法石の存在は知っていたが、見るのは初めてだった。
魔法石は特定の鉱山でしか採れない希少な石で、その中に魔法を込めることができる。ロベルトがなんの魔法を込めたのか気になったアルカナは、魔法石に魔力を流し込んで発動させた。
その瞬間、アルカナの頭に映像が一気に流れ込んできた。それは、ロベルトの過去の記憶だった。ロベルトが幼いころに受けた仕打ち、悲しみ、母親との死別・・・。ロベルトがなぜ記憶を魔法石に封じ込めたかったのか、アルカナは分かる気がした。
なぜなら、記憶すべてがとても辛く悲しいものばかりだったからだ。おそらく、ロベルトはこの記憶を消し去りたかったに違いない。それほど、ロベルトの過去は壮絶すぎた。
ふと、アルカナはロベルトの記憶の中に、一瞬だけ城が映るのを見た。その記憶に集中したとき、アルカナは目を見開く。そこには、アルカナがよく知る大人のロベルトと、城の奥深くの塔に幽閉されている黒髪の少年が映っていた。
その少年は驚くほど長い髪を持っており、銀色に輝く瞳を黒髪の合間からのぞかせていた。これほど長い髪を持つ人間をアルカナは初めて見た。この世界では髪が長ければ長いほど魔力が多いとされている。
ここまで魔力が多い人間は、王族でしかありえない。つまり、この少年は王族なのだ。
だが、なぜロベルトは王族と会っていたのか。
アルカナは考えを巡らせる。
レウィンは、イエローリーフのクライアントは城側の人間だと断言していた。もし、この王族の少年がイエローリーフのクライアントだったのなら、ロベルトと密会していたこともつじつまが合う。
そう考えたとき、アルカナはすぐにこの少年に会おうと心に決めた。イエローリーフのクライアントなら、ドウンとネアを殺した同業者が誰なのか知っているかもしれない。知らなくても、恐らく目星はついているはずだ。
アルカナは夜になるのを待った。
城に侵入したことは、実は何回かあった。イエローリーフでは度胸試しがいくつもあり、その中に「城へ行って黄金の花を摘んでくる」というのは定番だったからだ。
城を覆う保護魔法はやっかいだが、完ぺきではなかった。日中は安定しているが夜中になるとわずかに″揺らぎ″が生まれるのだ。
アルカナはその揺らぎの穴を突いて、素早く城の敷地内に侵入する。配置されている騎士たちの動向をチェックし、気配を殺しながら城の奥へ奥へと忍び込んでいった。
アルカナは髪の毛が肩までしかないため、魔法は長くは使えない。しかし、一瞬だけなら色んな暗殺魔法を使うことができた。
ロベルトから教わった、暗殺に役立ついくつかの魔法を使いながら誰にも気づかれず、ネズミのように地面と壁を移動していく。
ロベルトの記憶を頼りに、アルカナはあの少年がいた塔へとたどり着いた。星明りに照らされて、不気味にただずむ塔。そこに、かつて自分たちに仕事を与えていたクライアントがいると思うと、アルカナは不思議な気持ちになった。
塔のゴツゴツした壁をスイスイ登る。ろうそくの明かりがついた部屋を見つけ、透視の魔法で一瞬だけ壁を透かした。半透明の黒いベールに包まれたベッドに横たわり、眠っている人間をアルカナは見た。
アルカナは懐にある愛用の刃物を握って確かめると、音をたてずに窓から侵入する。刃物は、殺すためではない。脅すために持ってきたものだった。
アルカナはベッドの枕元に立つと、少年の寝顔を見降ろした。ロベルトの記憶の中で見た、あの少年だった。
☆★☆
少年は侵入者の存在に気付いているようだった。息遣いが寝息ではなく、起きているもののそれだったからだ。アルカナが一歩ベッドに近づき、懐から刃物を取り出すと、少年は目を閉じたまま口を開いた。
「俺を殺しに来たか」
アルカナは表情を変えない。そのまま、刃物を少年の首元に当てて、アルカナは問いかけた。
「私の質問に答えろ。ドウンとネアを殺した同業者はどこにいる?」
暗殺者から発せられた声が少女のものだったことに驚いたのか、少年は反射的に目を開けてアルカナを見た。そして目を大きく見開いたかと思うと、少年は不気味に笑い始めた。
「ククク・・・。なるほど、俺を頼ってきたか」
そういうと、少年は刃物を気にすることなく身体を起こし、ベッドの上で胡坐をかいた。長い黒髪がベッドの上に広がる。銀色の瞳が、じっくりとアルカナを値踏みするように見つめて来た。
アルカナは少年の様子を見て、刃物は必要なくなったと悟り鞘に納める。
「で、お前の目的は復讐か」
薄笑いを浮かべながら、少年はそう問いかけてきた。だが、銀色の瞳は鋭く冷たい。
アルカナは無言だった。この、掴みどころのない少年の思考を図りかねていたからだ。だがそれを肯定と受け取った少年は顔を手で覆うと静かに笑い始めた。
「そうか・・・、お前は俺と同じだな」
「・・・・?」
ぽつりとつぶやいた少年は、長いまつ毛を伏せた。とたんに表情を崩した少年に、アルカナは目を細める。
「俺も、イエローリーフをぶっ潰したやつらが許せない」
そうつぶやく少年は苦虫をかみ潰したような表情をしていた。アルカナは黙ったまま冷静に様子を見る。
そもそも、アルカナはこの少年を信用していなかった。なぜなら、いまの王族にこんな黒髪の王子は存在しないからだ。いまいる王子はだたひとりだけ。美しい銀髪と銀瞳を持つルミエールという王子だけのはず。
この少年、髪の長さは王族のそれだが、代々、王族は銀髪銀瞳と決まっている。にもかかわらず黒髪なのはなぜだろう。父である王が銀髪ならその子どもも銀髪に生まれるはずなのに、とアルカナは疑惑の目を向ける。
この世界では、子どもの髪の色は父親に依存する。母親の髪の色が子どもに引き継がれることは絶対にないのだ。
違和感の塊。それがこの少年を見て、最初に感じた気持ちだった。
ふとベッドの向こう側から気配を感じてアルカナは懐にあるナイフに手を伸ばす。
静かに姿を現したのはアルカナと同じ年くらいの少年だった。その見覚えのある容姿にアルカナは目を見開いた。
セジル?
なぜこんなところに?いや、セジルにそっくりだがよくよく見ると右目の下にほくろがある。それにセジルよりも髪が少し長かった。
セジルの兄弟か?アルカナが考えていると、セジルに似た人物は冷たい瞳をアルカナに一瞬向けたと思うとすぐに興味を失ったのか王子に視線を向けた。
「王子、こいつを殺しますか?」
アルカナはナイフを取り出した。そもそもこいつは一体いつからこの部屋にいた?そんなの決まっている。アルカナがこの部屋に忍び込む前からいたに違いない。
「俺のかわいい枯草だ。お前は手を出すな」
不本意だったのか、むっとした顔をアルカナに向けるとセジルに似た少年は暗闇に溶けるように後ろに下がった。
「で? お前はなにをしにここへ来た?」
黒髪の王子がそう問いかけてくる。アルカナはナイフを懐に戻すと、
「あなたがイエローリーフのクライアントなら、イエローリーフを潰した犯人が誰か知ってるはず」
「心当たりならある。だが、知ってどうする?」
「殺すだけ」
アルカナは淡々と答えた。王子はその少女がするとは思えない冷たい瞳を見てニヤリと笑みを浮かべた。
「お前ひとりでか? 無理だ。相手が悪すぎる」
「なぜ」
「お前たちを潰したのは隣国だからだ」
思わぬ大きな相手を突き付けられてアルカナはぐっと言葉を詰まらせた。
「反乱軍の内情を知っているお前たちでも、やつらの黒幕が誰なのか知らないだろう」
「まさか、うちの反乱軍を他国が操ってる?」
驚愕の事実にアルカナは絶句した。王子は静かにうなずくと、魔法で世界地図を出した。
「俺はこの国が怪しいと睨んでる」
「オルタンス・・・」
王子が指さした国をアルカナは見つめた。世界のことはあまり詳しくはないが、そんなアルカナでも長年の同盟国だと聞いたことがある。
「俺たちの国を内部崩壊させて乗っ取るつもりだろう。お前だけで太刀打ちできる相手じゃないのは分かっただろ」
「・・・・」
アルカナはギリッと奥歯を噛んだ。アルカナは暗殺者だが、他国ともなると内情を一切知らないためうかつに手を出せない。沈黙したアルカナに王子は顔を近付けるとささやいた。
「師匠を失った状態で俺にたどり着いたことは褒めてやる。だが、俺を見て分かっただろう。俺は王族だが王族ではない。お前は知ってはいけないことを知ってしまったんだ」
アルカナはハッと顔を上げた。後ろに下がったはずの少年がどこにもいない。気付いた瞬間、少年は背後におり、アルカナの腕を後ろに無理やり拘束し、急所である首を掴まれてしまった。
一体いつの間に。アルカナはかつてないほどの危機を感じていたが、どんな状況でも落ち着くよう訓練されていたため冷静だった。
「ロベルト、いやベルナルディもうかつなことをしてくれた。お前はあいつの記憶を見てここへ来たんだろう?」
「・・・・・」
なぜそれを知ってるのだろうか。こいつはロベルトの忌まわしい過去を知っているのか。だがアルカナはそんなことよりもこの状況を打破するためになにを選択すればいいのかだけを考えようとした。
「私があなたの駒になる。他国が敵なら手駒はいくらあっても足りないのでは?」
アルカナは自分を売り出した。今までイエローリーフの暗殺者として働いてきたのだ。王子にとってはそこら辺の娘よりもはるかに役に立つだろう。
それに、王子は最初イエローリーフが潰されたことを悔やんでいた。この王子が何者かは知らないが、先ほどの口ぶりからすると恐らく何らかの理由で世間から隠されて生きて来たのだろう。ならば、味方はそれほど多くはないはず。
現に王子なのにもかかわらず近くに衛兵はおらず、明らかに私兵とみられる少年を使っている。
そんな彼にとってイエローリーフは大きな駒だったはずだ。その生き残りである駒がまた手元に戻ってきたなら、再利用しようと考えるのは自然の流れのように思えた。
「・・・・」
相手が言葉を発するまで時間がかかった。その間、段々と首の締め付けがきつくなるのを感じてアルカナは心の中で後ろの少年に向かって悪態をつく。
「・・・いいだろう。俺のために生きると誓えるか」
「イエローリーフの生き残りとして誓う」
「名前はなんだ」
「アルカナ」
こうしてアルカナは得体の知れない王子と魔法の契約を交わしたのだった。永遠に王子に従う暗殺者として・・・。